立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

コラム-気まずい他人同士

あっと言う驚きの表情の端々に羞恥と後悔が見て取れ、悪いことをしたとむしろ私が気に病みそうだった。


いつの頃からだろうか。見てはいけないものを見たとき、目を逸らしたり知らん顔したり興味ありませんよみたいな顔をするようになったのは。それが良いことだろうと悪いことだろうとなるべく関わろうとはしなくなったが、それでも見た方が加害者、見られた方が被害者という関係が不思議に成り立つことが度々ある。何も悪いことはしていない。覗こうとして見たので無ければ罪悪感を感じる必要はまったくもってないはずなのだが、気の弱い人ほど罪悪の思いに苛まれてしまうのだ。


悪気があったわけではないが、だからどうしたと強気になれるわけでもない。自動販売機でコーヒー買おうとする行為にドラマめいたハプニングも望んではいない。だが、すぐそばの角から、1人のレディがまあまあ大きな声でエグザイル歌いながら出てきたら、そりゃ思わず見てしまう。目が合い、しまったと思った時にはお互い気まずい空気が流れたが、私はすぐに目を逸らし財布の小銭を取り出し自販機に入れる作業に戻り、そのレディが後ろを通り過ぎる気配を感じながらコーヒーのボタンを押した。


行き先が同じ方向ということに不安を感じながら、ジュース取ろうとしゃがんだ拍子にケツからブッと出た。

コラム-快適なアナウンスとバス酔いするブレーキ

雨の降る日が増えれば増えるほど、電車とバスを乗り継いでの通勤となり、定期代で交通費を貰っている身としたら、公共の乗り物に乗れば乗るほどお財布事情に影響が出る。プライベートでもバスには乗るしお金も払う。ただただ文句を言いたいわけではない。ストレス発散のはけ口にしたいわけでもない。少しは売り上げに貢献しているのだから、1人の消費者としてたまには意見を言わせていただきたいのだ。


やけに渋い低音で鼻から抜ける感じの落ち着いたアナウンスに反してブレーキの荒いバスの運転手に当たって、ハズレだと思った。ハズレだと思ったが最後、エレベーターガール顔負けの上質なアナウンスにさえ、何を調子のっとるんだと苛立ち始めるのは私の悪い癖である。


バスの乗り心地で最も重要なのはブレーキだと思う。アナウンスは次どこか伝われば、かすれた声でも裏声でも痰の絡んだ声でも何でも良しである。私は乗り物酔いニストだからよくわかるが、バスの匂いや、人が大勢乗っている時の熱気が、乗り物酔いニストにとって最も辛い条件の一つなのだ。


1日に何百人何千人と乗り降りするからこもる匂いや熱気は仕方がない部分もあると思う。嫌なら乗らなければいいだけの話なので、辛い状況ではあるが、そこにクレームをいれるつもりは毛頭ない。ただそれに加えてブレーキが荒いとなると、


「ブレーキのキツイ運転手」と掛けまして「行列のできる屋台」と解く。その心は「よい やすい」。


と、謎掛けで遊べることになる。例えるならば赤鬼と青鬼、ピルロガットゥーゾ、プリンとババロアのようなコンビである。


逆にブレーキが丁寧な人は、私の経験上、ハンドル操作も荒いことはなく、そうなってくるとアナウンスも丁寧な場合が多い。


乗客はバスの運転手を選べない。ゆえにブレーキングが得意な運転手に当たるのは運次第ということになるが、運転手にとっても細かなことに文句言う、ややこしいお客はごめんなんでしょうね。

コラム-漫画喫茶に感じるホームorアウェイ感

ずっと想いを募らせていた。白状すると我慢していた。嫁の行ってきなよという言葉に素直に首を縦に振らず、早4ヶ月はたっただろうか。いや、3ヶ月だろうか。もしかしたら半年はたったかも知れないしなんだかんだで1年が過ぎた気もする。もはや記憶すら曖昧になる程、ライフワークだった漫画喫茶へ行っていないのだ。


もちろん漫喫が嫌いになったわけでも、会員カードを無くしたわけでもなく、お金をケチっているわけでもない。時間が足りないという理由は往々にしてあるのだが、それより何よりもモチベーションがそこまでではなかった。


ゴールまでの途中に高い壁があるなら登って超えてみせようと奮起できるが、平坦な道をゴールに向かってただ進むというのではやる気の類は身を潜めてしまう。その状態が長期に渡ると、ゴールすることすら忘れてしまうのだ。例えによってむしろ分かりづらくなった私の心境のことは今一旦置いておくとしよう。


ひょんなことで午後から半日ポッカリと予定が空いた。家には嫁はいないし、やることはなくお昼寝するには何だか勿体無いような気がして、ならば久しぶりにと漫喫へ。


かつては太陽の健康的な光が入らず、間接照明だけの薄暗くて、タバコの匂いや時にはカップ麺、また時にはカレーの匂いが漂うこの空間に我が家のような安らぎ癒えを覚えていた。そのはずなのに、今回の来店は随分と時間が経ったせいか、まるでホーム感がなく、ペットボトルや発煙筒が投げ込まれても不思議でないアウェー感である。

 

そう、私は今読みたい漫画がないのである。以前は月に1度は漫画喫茶に通ってはいたが、それも読みたい漫画があったからに過ぎず、そのためにわざわざ本屋で毎月新刊のチェックをしていた。

 

あれだけ情熱を傾けた漫画を読みたくなくなるとは、いよいよ私も大人の仲間入りだろうか。とは言え前から気にっていた漫画がないわけじゃないので、手にとってパラパラとページをめくってはみるが、2冊3冊と続かない。この、酷く薄味のような漫画を読んで気づいたのですが、2週間前ブックオフでたっぷり立ち読みしてました。

コラム-スマホとパソコンを使いこなす世代

パソコンと1万足らずのプリンターがあれば思い出の画像を簡単に写真に印刷ができる。中学時代や高校時代、インスタントカメラで撮った写真を現像するのにドラッグストア(我が町のドラッグストアでは安く現像してくれた)か昔ながらの写真屋さんに出して2〜3日。それが今ではマウスをクリックするどけで綺麗な写真が出てくるものだから大したもんである。


ワンクリックで欲しいものが買えて家に届いたり、話題の仮想通貨とやらで一生分の財産を築いたり、動画を見れたり、やや無理を承知で言うならノートパソコンならまな板にもなるし、モニターの薄さが自慢のやつなら包丁にもなる。シュークリームを焼いたりピザを焼いたり、コーンポタージュを作ろうとするのは無理があるとしても、もはやパソコンでできないことを探す方が難しい。


これからの時代にはパソコンは必須、と言われて20年以上は経つだろう。予言通りに必須となった今、次世代の若者はスマホタブレットの普及によりパソコンは不要になりつつあるという。それを聞いて少しばかり寂しくも感じるが、コストパフォーマンスを考えるならそれも頷ける2018年の春うらら。パソコンにできてスマホにできないことは現時点ではまだあるが、足りない能力をアプリで補い、パソコンを超える時代がすぐそこに来ている気がしてならない。


かく言う私はパソコン世代でありながら、スムーズにスマホの使い方を覚えることができた。つまりはサッカー界で言うところの、グティオーウェン・ハーグリーブスセルヒオ・ラモスのようなユーティリティプレーヤーなのだ。スマホが出来ない上の世代からは重宝がられ、パソコンの出来ない下の世代からは尊敬の眼差しで憧れられているはず。言わばちょうど我々が黄金世代と呼ばれるに値する。


肩書きに負けないように時代の波に飲まれないよう、出来ることを広げて深めていかねばと思っているのだが、私の愛用するEvernoteにだけはここ数日で何度も手を焼いている。


Evernoteにメモや文を書いてから、場所を入れ替えたりしたいとしたら、他の文章作成と同様にカットしてペーストするのがオーソドックスな方法だろう。何もおかしいことはやっていないはずだが、私のiPhoneからこの操作を行うと、なぜだか貼り付けた文章が超巨大化してしまう。そんなに強調したくない、まだ老眼じゃない、と深夜に涙目で欠伸を堪えて修復しようとするが、何をどうしても直らない。何度一から書き換えたのかは分からない。バグか新たな仕様か使い方かは分からないが、同じ状態を繰り返す私の脳もそろそろバージョンアップの時期に来ているのだろう。


それでは。

コラム-チェッカーズのヘアースタイルが再度注目を浴びるかも知れない、もしかすると予知夢なお話

前夜に飲み忘れた花粉症のお薬を昼の食事の後に飲んだのはあまり良くはなかったのかも知れません。休日になると決まって昼の2〜3時に眠くなる、通称昼下がりのまどろみを、しばらく放置していたアプリのゲームの力で乗り切ろうとしたものの気づけば夢と現実を行き来する2時間を過ごすことになりました。


学生時代暗記ものは大の苦手でしたし、先生に肝心な部分を覚えることを覚えなさいと言われたことは今でも昨日のことのようにしっかりと覚えています。 記憶力には自信があるわけではありませんし、嫌な人や辛い出来事はさっさと忘れる便利な体質だけに、時間が過ぎて完全に忘れてしまえたなら、これほどモヤっと することもなかったのですが、いかんせん記憶が新しいためにそうもいきません。今私の頭の中に夢なのかそれとも現実のテレビで見たのか判断つかない映像がはっきりと残っているのです。

 

今年の流行はこれだ、みたいなタイトルで、知らないおじさん達数人が、知らない国の知らない街の床屋で、これから流行るだろう髪型にしてくれと注文して実際に切ってもらうというテレビ番組を、おそらくは夢の中で見た番組なのでしょうが、全員が全員、前髪の一部を長く残してたらりと垂らした髪型にされていました。その様は80年代に一斉を風靡したチェッカーズ


なぜにこれがと思うことが流行ることは珍しいことではないので、もしかするともしかするかも知れないし、私が正夢を見るタイプなのかもしれません。もしかしたらもしかするのでオシャレに敏感な人はチェックしてみてもいいかも知れません。チェッカーズだけにね。おしまい。

コラム-コンディションの調整をムヒに頼る

10分手を動かして5分上の空、10分手を動かして今度は5分ネットサーフィンと。あと2日で仕上げないといけない仕事が全く手につかない。ゴールまで100メートルだとしたら、今はまだスタートラインから10メートルのところ。スタートダッシュとまでは言えないが、ピストルがパンと青空に響いたと同時にスムーズなスタートを切れたと思っていた。


状態を徐々に起こしながら最高速度をキープして…とグイグイ前に進む予定だったにもかかわらず、いつのまにか晴天が一転してダークグレーな厚い雲に覆われて、雨が降り出したと思ったら瞬く間に土砂降り、カラッと乾いたカチカチのグラウンドだったのに、足首までズブッと浸かる粘土質のぬかるんだ道となっていた。四苦八苦である。


こう言うことはままある。持ち上がる気持ちと溢れ出さんとする熱意に反して横槍が入ることはままあるのだ。これまで何度も同じようなことがあったし、この程度で集中を削がれているようではいつまでも三流からは抜け出せない。


数日前から左の脇腹に異変が起きて困っている。虫かアレルギーかストレスか、知らぬうちに毒を盛られたのかはわからないが痒くて痒くてたまらない赤いプツプツが数個できた。さらにヒートテックのタグがちょうどそのただれている箇所をいい具合の加減でチロチロと刺激をするのである。痒みに耐えかね、服の上からではあるが擦るようにかいたのが悪かった。痒みに加えて痛みも出てきて仕事どころではなくなった。


ほっとけば良くなるだろうと昔ながらの治療法を試しているが、痒み痛みの範囲がさらに広まった気がするし、日曜日にもう半年近くも行けていない漫画喫茶に行く予定もある。日曜、漫画喫茶はかつての私の週末ルーティン。漫画喫茶に励まされ、癒され、活力を補充したパワースポットだけに、コンディションのピークをそこに持っていかなければ聖地に失礼である。だからこそ今はムヒを手に入れなければならない。痒みにはムヒと古から決まっているし、早く塗るにこしたことはない。すぐに買いに行かなければならないが、残念ながら今は勤務時間。


ムヒを買いたいので早退しますと言ってたのでは、会社から「ムシ」されることになるので、ブログを考えるのもここら辺にして、あと1時間弱、痒みに耐えてがんばろうと思います。それでは。

コラム-寝る前に食べると太るという事実が自我を抑える

寝る前の食事は太りやすいと聞いたことがあるから、そぞろにタバコを吸いにベランダへ出て、硝子戸を閉めた時に意識せず残っていた親指を挟んでしまいました。出血を確認したが血は出ていませんでした。骨折したかとも思いましたがどうやら折れてはいないようでした。涙を飲みながらのタバコは何年振りでしょうか。


こんな事ならデブりを恐れることなく、卵を落としたチキンラーメンにお湯を注ぐか、永谷園のお茶漬けの素とワサビを多めに乗せた冷えたご飯にお湯を注げば良かったと、1分前に見た目を、つまりはモテを意識したともとれる、ほんのわずかに意識を高くした自分を恨みました。


これまで何度だって聞いた、嫁の太ったっていいじゃない、という悪魔の囁きにだけは耳を貸すことはありませんでしたが、深夜にこんなに痛い思いをするならと心が揺らいでいる今、どういう行動をとるべきなのでしょうか。


卵を2個入れたチキンラーメンにお湯を注ぐべきなのでしょうか、ワサビと鮭フレークと永谷園のお茶漬けの素を乗せた冷やご飯に熱々のお湯を注ぐべきなのでしょうか。それとも思い切ってコンビニにカップ焼きそばを買いに行くべきなのでしょうか。嗚呼、明日が休みならと甘い考えを巡らしてはいるのですが、それはもはやファンタジーです。モヤモヤしている間にまたタバコが吸いたくなってきました。就寝前の食事は太りやすいようなので、やっぱりタバコを吸って眠りたいと思います。


それでは。