立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-厄介なこと

役所に提出する申請書や暑い時期に決まって壊れやすくなる冷房と並んで厄介とされることは、女子とのお買い物、それもファッション関係である。この時の男の使命とも言える役割は、時には荷物持ち、時には同じお店を何度もぐるぐると回る、まるで警備員である。


この日曜日、気持ちのいい日だったから、観光客で溢れるのは分かっているが、たまには祇園を散歩するのも良かろうと嫁と朝から出かけた。桜の満開は見られなかったが、散りつつある桜に春本番を感じる良き散歩であった。


昼に小腹が空いたからさっと食べられそうな、安くてうまいサイゼリアで、好きなものを好きなだけと言われて迷わず頼んだビールでいわゆる餌付けされたようだ。その後ここまで来たついでにということで寄った某デパートで、お買い物にお付き合いすることとなった。


いい旦那さんねなどと言われたいわけではないが、男たるもの、伴侶には日々、喜、楽、幸を感じて欲しいもの。ならば私に出来ることならばやらせていただきますと言わん心構えではあった。ビールの酔いもいい感じで回っていたからという着火的な理由はあったが。


ご機嫌な嫁と上機嫌な私でデパートの婦人服売り場を周り、とあるテナントで嫁が試着室へ入った。レディースのフロアだから当たり前なのだが、男性用のトイレがなかった。アルコールと炭酸がいい具合に身体に吸収され、残された搾りカスをどうにか排出したかったし、しばらくウロウロしていた。


嫁はまだ試着室。今日の私はリュックサックを背負い、散歩用にゴツいカメラを肩からかけている。女性物のフロアをカメラとでかいリュックを担いだメガネの中年男性がウロついている、と。メタボ気味、メガネというのを差し引いても、考えるまでも無く不審者である。


ふと気づくとスタッフの視線が私に注いでいるように感じ、このタイミングで散った桜と落ちていた汚い帽子をおさめたカメラを片付け始めるのも不自然である。自意識過剰だが、見られていると意識するほど赤面し、小便の我慢による冷や汗により、ますます完成度が高まった不審者となっていった。


果たしてこんなことで良いのだろうか。濡れ衣着せられるほどに弱いメンタルの私についてではない。お客を不安にさせるデパートで良いのか疑問だと言いたいが、やっぱり疑わしき格好をしている私に多めの非があるように思えてならないので、今夜はこのへんで。それでは。

雑記-京都にて強面外国人のお花見

マラドーナガットゥーゾを足して2で割り、そこにシメオネを足してまた2で割ったような、タンクトップにハーフパンツの、白髪混じりの毛量が多くヒゲのもっさりとしたベロン似の外国人とすれ違ったのは暑い日が2日続いた後のコートを着るかどうか悩む、風が冷たい日の夕方だった。


顔は南米系だがもしかしたらフィンランドの北の方の地域出身なのかもしれない。だとしたらこの強面外国人にとってここ2日間は故郷では経験できないような暑さだっただろう。


京都の桜はとても綺麗だから一度は見ておかないと。きっと、強面からは想像できぬ、お花を愛する優しい一面が今回の京都の旅へと彼を揺り動かしたのだ。


ソメイヨシノにヤエザクラ、シダレザクラにオムロザクラ…京都で見られる桜の種類を空で言えるくらい、きっと飛行機の中では花の図鑑を食い入るように読み漁ったに違いない。


「日本」「春」「気温」と出発前にネットで調べると、なるほど、過ごしやすいと言えど春はまだまだ寒い日が続く、か。なら我が故郷フィンランドよりも少し暖かいくらいだろうか。オッケー、グーグルとパソコンを閉じ、少し厚手のアウターをカバンに入れ、長袖中心の服装を準備したに違いない。寝巻き用にハーフパンツを入れておいたのが不幸中の幸いと言えるだろうか。


オーマイゴッドと言ったかどうかは分からない。ホーリーシットと呟いたかどうかも分からない。だが、2日続いた夏日は彼にとったら災難に近いものだったのではないだろうか。ならば3日目はできる限りの薄着で、いらない荷物はホテルに置いてと、彼なりの準備はしたはずだ。だけどもその予想がハズレてやや寒い1日となってしまったのは、何とも言いがたく、切ない。


誰かが悪いわけではない。ただただ運が悪かった。そういうお話である。もしも彼がフィンランド人だとしたなら、ではあるが。


それでは。

雑記-サザエさんは人として嫌いだけどアニメは心のチューナーである

日曜夕方はちびまる子ちゃんを見てその後はサザエさん、と決まっている家庭も少なくはないだろう。我が家もそうである。


継ぎ足し受け継いで味を変えぬまま続いていく、老舗の鰻屋のタレの如く、何も変わらない世界観は、目まぐるしく変化する日本人の心のチューナーであると私は思う。


時には翌日から始まる仕事を思い出し、憂鬱スイッチを押すきっかけとなることもあるだろう。だけどもいつも変わらずそこにあるということに価値を感じる。毎週見ていないという人の心にも、日曜夕方にはまる子サザエがいるだろう。


全国民が知っていると言っても言い過ぎではない、国民的アニメのサザエさんに今日は一言言わせていただきたい。野良猫を裸足で追っかけたり、買い物するのに財布忘れたり、間違い電話をかけてきた人と盛り上がったりと、まるで良くない見本である。ドジっ子なところを愛してねと作者は言うかもしれない。が、「こんな姉さんは嫌だシリーズ」、もしくは「こんな嫁は嫌だシリーズ」を永遠と流すアニメではないのか。


私はサザエさんが嫌いなのだ。傍若無人でデリカシーのない女性を好きな、マスオさんのような腰が低く穏やかな男性は存在するのだろうか。


…いや待てよ、サザエさんが始まったのはもう50年ちかくも前だという。日本の高度経済成長の頃か。今でこそ強い女性は珍しくはないが、当時の時代背景を考えれば、亭主関白が普通だったろう。尻に敷かれる男性というのは滑稽に映ったのかもしれない。それがウケて人気が出たとして、だが今では日本の昔ながらの家庭像と比喩されることも少なくはない。


となると、50年前のアニメに時代がようやく追いついたということになるのだろうか。


私もまだまだである。日曜夕方お世話になっているサザエさんを嫌いな女性として受け入れられないのは、きっと男としての器がマスオさんよりもずっと小さいからだろう。今度サザエのつぼ焼きを食べる時はありがたくいただくとします。それでは。

雑記-キリンとエロ

ご飯食べてる時くらい気をつかえよこのバカ。こっちは朝昼15分とっていいとされる小休憩をとらず、朝は15分も前から仕事を始めてるんだから昼休みくらい静かにしてろ。と急ぎでも何でもない仕事を言われてもなお、普段から溜まっている不満をぐっと飲み込んだのは、会社のWi-Fi使って自分のスマホで少し、いやかなりエロく、公共の場や職場で見つかれば間違いなくアウトなサイトを渡り歩いていたから、多分後ろめたさが多少はあったのだと思う。


ここからエロサイトの話題となっていくと思われた人たちには大変申し訳ないが、エロとは何の関係もないキリンの話をしたいと思う。みんなの人気者のキリンは変な動物である。食べ物に困らないように、他の動物が届かない高い場所にある葉を食べるという発想は悪くない。だが、首ばかり長くしたのはどうかと思う。低い場所の葉を食べることはないのだろうか。もしかしたら、小柄な動物の食料を奪ってしまわぬ優しさなのか。いやいや、飢餓との闘いの野生でそんなことも言ってられないし、テレビで人間を襲う、優しくない一面を見たこともある。走るにも跳ぶにも眠るにもどう考えても邪魔。身体もそれなりにでかいが、やはりどう考えても首とのバランスが最悪である。


ひび割れた地面のような模様の黄と茶の肌色は、熱いサバンナの乾燥地帯を意識してのことだろうか。いわゆる迷彩で敵に見つからぬようにということだろうが、結局長過ぎる首とゾウに引けを取らない身体のせいで遠くにいても気づかれてしまうのをわかっているのだろうか。いや、わかっていても変えられないか。神がキリンに与えた試練かも しれん なと、ギャグ混じりに考えだしてもキリ(ン)がないし、首を長くして待っていたエロくないDVDが本日届いたので、これにて失礼。

 

コラム-人生設計

正月、ゴールデンウィーク、盆休みなどの大型連休は、普段から足を棒にして目ヤニを拭く暇もなく働く人々にとって、ご褒美である。と言いたいところだが、私はそうは思えない。休暇が長ければ長いほど仕事に戻るのが嫌になると言うのが人間というもの。実際、連休明けは数日間ノータッチだった仕事のリズムを取り戻すのに時間がかかるし、記憶力のない私にとっては、パソコンのパスワードを入力することすら危うくなる。


もっと均等になるよう各月に休日を振り分けるのが、森友学園の問題と並ぶほど重要度、緊急度が高いと思うのは私だけだろうか。


「山の日」なるものが数年前にできた時、増えた休日に素直に喜べなかった。なぜならお盆の連休につけて足したようなほとんど意味のないものだったから。それならば結婚式ばかりが行われ、金と休みが目減りする、祭日の無い6月に梅雨の日を設けるべきではないか。


仕事がしたくないというわけじゃない。私は死を迎える4年前、95歳まで仕事を続けたいと思っている。となると、ゴールテープを疾風の如く駆け抜ける短距離型と言うよりは、スタートからゴールまでの完走を目的としてホノルルマラソンに参加する定年間近60代のじーさんのような、線の細い長距離型。すなわち、ペースを乱すことなく日々のルーティンを守る必要がある。つまりは今後私に必要なのは一週間の大型連休より、息切れ前の二連休の方が望ましい。


話はそれるが、私が定年する95歳はワールドカップ開催の年である。よって命日の99歳も開催年。ならばワールドカップ決勝終わりのホイッスルを聞いてから、ふっと逝くのも悪くない。フットボールだけにね。


それでは。

コラム-酔った時の小便

飲んで飲んでまた飲んで、おつまみをひたすらにビールで流し込む、もはや作業に近い行為を繰り返すうちに催するのが小便である。何ら変なことは無い、いたって普通の生理的な事象だが、どうして一度体内に溜まった小便を放出すると、ダムの決壊の如く、二度目以降は異常なペースにはね上がってしまうのだろうか。


お酒飲みにはあるあるなのだろうが、一度目まではそこそこもつ。乾杯の音頭から注文した料理が届き、2周目の注文が始まるくらいまでは軽くもつ。その時点で生中3杯ほどだろうか。量にしておそらく1リットルほど。数字にすればなかなかの量に思うが、ビール飲みからしたら「まあ、そんなもんか」というレベル。酔いもほどほどに話題もひと段落したそのころ、強くなる尿意を一旦放出すべく席を立つ。便所で膀胱を空にして席へ戻り再び宴を楽しみ始めたその時、異変を感じる。


「今行ったところなのにどうして」


昔から気心の知れた間柄なら、小便行った時に夢や希望をトイレに置いてきたみたいだからちょっと取りに行ってくるとか言ってしまえば2分後の二度目の小便も照れや気まずさは無い。だが、一緒に席に着いたのが大事なお客さんなら、気難しい上司だったら、狙いを定めていた女子だったならと思うと、想像するだけでビールがただの苦い汁となってしまう。


どうにか便所に立つペースを均等に分散する術はないのか。お酒を覚えて10年以上の月日が経つが今だに答えが見つからぬ難題である。


まだまだ酔った時の便所について語りたいが、桜の満開の季節ももう目の前。綺麗な話題とは言えないし、あまりに品が無い。なので、この辺りで切り上げるとするので、小便だけにどうか水に流してくれないでしょうか。それでは。

コラム-ロイヤルミルクティーとコーヒー

大げさなネーミング感が否めないミルクティーこと、ロイヤルミルクティーと、定番安心のホットコーヒーを頼んだところ、嫁のロイヤルミルクティーについてきたのはメープルシロップだった。どちらも300円と値段は変わらない。メイプルシロップ好きの私は損したと刹那に思ったし、追い討ちをかけるかのように私のホットコーヒーには、砂糖とミルクすら付いて来なかった。聞かれてすらもいない。なしなしで飲みそうな顔をしていたのかも知れないが、一言聞いて欲しかった。もちろん聞いてくれても遠慮するだけだが、マニュアル化されているとは言え、心づかいだけに無ければ無いで寂しいもの。ロイヤルミルクティーのロイヤルはメイプルシロップのことだと無理矢理自分を納得させようとしたが、だからと言って状況は変わらないので無理だった。


そもそもレジにいたあの彼女は、注文をとるときからかなりムスッとしていた。昨日彼氏に浮気でもされたのだろうか。辛いことを乗り越えて大人になるんだよと言いたいところだが、そんなことはこちらには関係ない。昼の飲食店で愛想がないのは何より寂しいものだと憂いて嫁を見ると、メイプルシロップを混ぜるためのマドラーももらえていなかった。


深刻である。日本の経済支える飲食店やコンビニの店員のレベルが著しく低下しているとはっきり感じる。嫁と私は笑えるほどについていない。だからたまたまハズレな店員さんに当たってしまったということはあるかも知れないが、それを踏まえても質が落ちていると言い切れる。


ブログで言ったが、先日はコンビニで嫁が底の深いアイスを買ったところ付いてきたのは持つところの極端に短い木のスプーン。交換をお願いすると今度はプラスチックの長いスプーンで嫁は泣く泣くそのアイスを食べていたのは記憶に新しい。


そして今度は洒落たパンのレストランでマドラー無しとは店構えばかり力を入れる前に大事なこと忘れていませんかと声を大にして言いたいが、よくよくみたら、レジの横に砂糖もミルクもマドラーもご自由にの張り紙と共に置いてあったのでした。おしまい。