立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-年賀状の添え書きに関すること

会社の人への年賀状ほど面倒なことはない。仲良い同僚への添え書きは困らないし、逆に簡単な挨拶でもオッケーとされそうだが、普段あまり一緒にならない目上のスタッフとか、何を書いたらいいのか映画一本分悩むことがあるのは、どうやら私だけではなさそうだ。みんな困っている、いや面倒がっている。

 


20人そこそこの規模の会社では全員の顔と名前が一致するし、この人は出す、この人は出さない、と区別するのも難しい。じゃあ全員に出そうかと決断したはいいけれど、添え書きなしでは味気ない。むしろ上司でさえ添え書きを書いてくれるのに、部下が書かないわけにもいかないだろう。

 


ほら、ほらね、サクッと終わらせられない感じ。面倒になってきた。きっといつもは調子がいいプリンターも突如インクがかすれたり、うんともすんとも言わなくなったりするんでしょうよ。新しいプリンター探しにヤマダに走ったりするんでしょうよ。だから年賀状は嫌いなんだ。

 


だからであるが、こんな年賀状嫌いの私から皆様へ提案です。プリンターにかかった年賀状の呪いが解けるわけではないけれど、気の使う会社関係の年賀状問題は解決できる素敵な方法があるのだ。

 


まず毎年一人、年賀状係を振り当てます。この一人が社員みんなへ宛てた年賀状を出します。年賀状係以外はスタッフ一人一人に年賀状を書くのではなく、会社全員へ宛てた一通だけ書く、と。この一通はスキャンするなりして全員で共有する。

 


要は毎年係が当たった一人がこれまで通りの作業量、他スタッフはこれまでの約1/20の作業量である。全員から自分宛の年賀状は無くなるわけだが、だいたいみんな似たような添え書き同じだろ。な、だからあくまで妥協案だけどどうでしょうか。

 


コーヒーに入れるお湯が沸くのを待つ間、きんきんに冷えたフローリングから伝わる冷気から逃れるために腿上げしながら考えて妙案出したから、あとはみんなが動いて世の中を変えていってくれないか、年内は無理でも来年までに。よろしくお願い。

雑記-初めて胃カメラを飲んだ感想

健康診断前夜、夜9時から飲食禁止で口にするのを許されるのは水、茶、スポーツドリンク。当然禁煙。ソフトダイエットを始めてから夜9時以降の食後のおやつを控えてはいたから、何も心配することはないと高を括ってはいた。だけれども人の欲求というのは不思議なもので、するな、やるな、ダメだと言われれば言われるほど欲しくなるのは欲である。いつもは欲さない時間帯によりによって体が欲するのはギトギトのラーメンであった。

 


想えば想うほど腹は減り、腹が減ってはラーメンを思い出し、また届かぬ想いにより一層強く想う。悪循環に陥る兆候が見え隠れしだしたので、23時を待たずして布団に入り目を閉じた。朝、微妙な空腹で目が覚めたが、幸いなことにラーメン欲はなく、水でやり過ごし、予定通り初の胃カメラを飲むことができた。

 


辛い辛いとは聞いていたが思った以上に胃カメラは大変だった。まず麻酔。喉の奥にゼリー状の麻酔薬を流されて5分間そのままで、飲むなと言われる。想像しなくてもわかるだろう。水分なり物なりがのどの奥に流し込まれたなら反射的にごっくんとしてしまう。これを意識して飲まないようにすることがなかなか難しく、額からじっとりと汗がにじみ、さらには昨晩頭をよぎったラーメンを思い出したなら唾液が増えるし、さらに難度は上がる。

 


麻酔が終わると今度はメインディッシュの胃カメラを口から入れていくわけだが、今度は飲め、ただゲップは我慢しろと言われる。喉の奥を通る時に当然のようにえづくことになるが、嘔吐の時のえづきと決定的に違うのは異物がそこにずっといるということ。

 


喉を通り過ぎるわけでもなく出て行くでもなく、チューブがずっとそこにいる。意識したならまたゲェゲェなるから別のことを考えようとしたなら、またラーメンが頭をよぎる。なぜかラーメンが頭から離れない。元ウルグアイ代表のレコバとか、元ロシア代表のアルシャビンとか、不遇のサッカー選手のことでも考えればいいのになぜか頭の中がラーメンでいっぱいで、だから、えづきやヨダレ、ゲップが止まらない。体は気づけば力み出し、看護師さんに力抜けと言われながら汗と涙でずくずくの中、作業は終了した。体を起こすとまるで重作業を終えたように全身までびしょびしょになっていた。

 


初見では異常なしと言われたが、どうも体が怠いのは、汗だくのまま徒歩で帰宅したことにより風邪をひいたからじゃないか。健康のために健康を害するのは正解なのかどうなのかは私は分からないが、世の中にはまだまだ知らない世界が広がっている。

雑記-恋に落ちて教科書落とした君へ

12月10日午後5時45分頃、四条通りよりも南側、西大路通よりも東側の、少し活気の足りない商店街で、自転車で私を右側から追い抜いて行った君へ告ぐ。

 


後ろから見てもその躍動するような自転車の漕ぎ方から、ご機嫌でノリノリだと推測するのはあまりに簡単だった。マライアキャリーのクリスマスソングを鼻歌で熱唱しながら自転車の私をなかなかの勢いで追い越して行った中学生くらいの男子、キンとした空気が息を吸うのを邪魔するほど寒いのに君の周りだけ夏のようだね。告白がうまくいったか、はたまた片想いのあの子とクリスマスを一緒に過ごせる約束でもしたのか。いいと思うよ、もしも君とあの子が受験勉強真っ只中だったとしても、恋は走り出したら止まらないんだ。

 


受験は何度でもチャレンジできるが、一度冷めた恋は、温め直すのに時間がかかる。もしかしたらもう一生同じ恋は出来ないかもしれないし、受験だろうが好きなアイドルのライブだろうが関係ない。クリスマスくらい恋に全力でもキリストは怒りゃあしないし、大丈夫だ。とにかくがんばれ。

 


どうでもいいが、君がはるか前方を走る道を私ものんびり走っていたんだが、もしかして、アイドルが笑顔でポーズを決めるクリアファイルに入ったプリントと数学の教科書、そして参考書をまとめて道に落として行かなかったか。

 


あれ、と思った時には君は豆粒くらいだったから追いかける気にもならなかった。悪く思わないでくれよな。だからせめてクリアファイルと教科書、参考書は綺麗に重ねて道の脇に置いといた。

 


あれから雨は降ってないし、予報では水曜日まで降らない。だから大丈夫だと思う。だけど、知ってると思うけど日が昇ってしまうと、古紙回収車が動き出す。もし見つかったらひとたまりもない。奴ら段ボールは放っていくくせに書籍の類は迷いなく回収しやがるんだ。だからそれまでに何とか救ってあげてくれ。頼むね。

雑記-老いを追う

2018年はあと20日ほど。決して長くはないが、いい事、悪い事、あと1波2波くらいはあるかも知れない。大波までいかなくとも中波くらいならまだ全然ありえる。用心深く慎重派な私はここで気を抜く男じゃないのは、自分自身がよく知っている。会社の面倒で気が重いクソなイベントごとのほとんどを消化し終えたからといって浮かれてはいないが、油断していなかったと言えば嘘になる。

 


まだ東から昇りかけの朝日を浴びながら、100円自販機でbossの缶コーヒーを買い、近くの公園で趣味の写真を撮りながら小一時間ほどウロウロして、近所に住むと思われるじいさん、ばあさんのウォーキングを眺めながら石の冷たいベンチに座りコーヒーをすする。休日の度、歳にして倍以上程離れた老人たちとほとんど変わらない行動範囲だということに気づき、どこか自分の未来が見えた気がしたら、なぜか読書がしたくなったので家に帰った。

 


読書には欠かせないやや深煎りの苦めのコーヒーを淹れている最中、骨盤のやや右辺りが痛むことに気づいた。ほっときゃ治るだろうと意にも介せず、コーヒーを淹れ終えソファに腰掛け、読書前にネットサーフィンしようと思い、金儲け、楽、安全、とキーボードで入力していたが、どうも痛みは良くなるどころか酷くなっているようで、座るのもやっと横になるのもやっとならば、起き上がるのは至難であるほどに痛み出した。

 


これは一大事、これがギックリ腰なのか。仕事が出来なくなるのは全然構わないが、二連休が台無しになるのは死んでも避けたいと、イブ飲んでロキソニンの湿布貼ってもすぐに効果が出るわけもなく、結局午後からは寝て過ごし、お風呂に入って眠る頃には少しはマシになって、朝起きたらすっかり良くなっていた。一体何が原因だったのか。一抹の気持ち悪さを残しながら、何となく老いを体感した気がした。歳をとるにつれて原因の分からない不調が増える。これをひっくるめて老いというのだろう。

 


明日死んでもいいように、パンケーキが食べたい。美味しくて腰が砕けるほどの。
 

雑記-会社嫌いの会社員

警察官が逮捕されるってどんな感覚だろう。

 


メガネ屋さんがコンタクトだったり、清掃業者がポイ捨てしたり、印刷屋さんがペーパーレスを推奨したりするのとはまるで違うのはわかっている。「ミイラ取りがミイラになる」という諺がきっと同じ意味なんだろうなあと思っていたけれど、調べてみると思っていたのとは違う意味だったことに唖然とした。

 


交流だから、親睦だからとその重要性を聞かされてもイマイチピンと来ないまま、忘年会の日を迎え何とかやり過ごした。会場の飲み放題のビールがサッポロだったのが唯一の悦なわけだったが、どうもクソほども面白くない冗談に大声で笑って盛り上げるような、所謂気の遣い合いとなる場は好きになれない。

 


まあ、なにわともあれ今年も無事に終えられたことにホッと胸を撫で下ろし、あとは冬休みを待つだけである。気が抜けたか、忘年会後、ダイエット中なのに天一でこってりと餃子を平らげたのは頑張ってきたご褒美ということで。

 


どうでもいいが、車屋さんのエコ推進してますアピールはどう考えても止めるべきだと思うし、エコカーって言い方もどうも気にくわない。せめて他人から言われるならまだ分かるが、自分達発信で、わてらお利口でっしゃろ、とアピールしているのが、可愛いと錯覚するくらい不憫だと思うが、周り見るとだいたいの特に大企業はそんな感じですね。私の会社もその類です。でないと誰も褒めてくれないものね。

雑記-バロンドール発表の後の景色

時代が、変わったか。

 


もはやサッカーファンだと公言するのも恥ずかしくなるくらいプレーからは遠ざかり、観戦もテレビで日本の親善試合ばかり。そういや、6月のワールドカップはそこそこ見たけれど、そんなもんである。貪るようにサッカー雑誌を立ち読みし、ウイイレでイメトレしていたことが懐かしい。

 


随分と疎くなった。90歳のばあちゃんのかるたくらいサッカー選手に対する反応が悪くなった。特に10代のプレーヤーなんかほとんど知らない。ワールドカップで活躍した選手は何となくわかるが、これから活躍しそうな才能開花前の選手を見つけることももはや難しい。だけどそれでもレアルでナンバー10を背負うモドリッチくらいは私でも分かる。

 


振り返って見たら丁度10年である。バロンドールがC.ロナウドかメッシ二人だけの獲得合戦になってから。ロナウド5回にメッシ5回。稀代の天才が同年代に二人も生まれるとこうなる。サッカーの神も退屈していたのかもしれない。何か新しい刺激をと、天才プレーヤーを二人産み落としたなら、過去のデータだけを見るとなんとも単調で淡白となってしまった。

 


かつてディープインパクトという競走馬がいた。記憶に新しく、覚えている人も多いだろう。単勝オッズが1.1とか1.2とか、賭ける意味もほとんどなく、ローリスクローリターンな時代があった。メッシとロナウドは言わばそれであると言えば言いたいことが伝わるだろうか、いや伝わらないだろうよ。

 


今年もどうせ…バロンドールの発表を楽しみにしているサッカーファンならそう呟くのも仕方がない。ずっと二人の時代を見てきたのだから。

 


それが平成最後のバロンドールに選出されたのがルカ・モドリッチ。そうか、モドリッチか。とうとう時代の変遷が始まったか。

小説的雑記-羨ましい死に方

映画が好きだ。最近とんとご無沙汰だが、映画館も好きだ。まだまだ若くてギラギラネチャネチャしてた頃、映画喫茶をやるのが夢だった。と言っても、夢を持てと言われて何となくぼんやりと考えついた夢で、最後幸せに死ぬにはと考えたら映画喫茶だった。

 


映画を上映するのは30平米ほどのコンクリート打ちっ放しの、防音以外なんの設備も装飾もない無機質な空間に設けられた上映室。夏はエアコンで十分に冷やすが、冬は石油ストーブを2つだけ設置する。肌寒いくらいが眠くならないし、そんなもんでいい。

 


そこに映画鑑賞をする人のためにイージーチェアを10台ほどとコーヒーテーブルをイス1台につき1台置く。出入りは自由。出てすぐの所に3〜4人座れて喫茶スペースとなるカウンターを設置し、オーナー兼マスターはそこでコーヒーを淹れる。食事メニューは二つだけ。ポップコーンとナポリタン。ナポリタンは上映室への持ち込みは遠慮するが、コーヒーとポップコーンは持ち込み可。

 


場末の潰れたパチ屋の隣とかにあり、映画館より神経質にならずに気軽に立ち寄れるが、カップルがデートで使うにはムードが足りず、50オーバーの不倫を楽しむ二人がイチャつくには上品過ぎる。

 


深煎りの苦いコーヒーと2000年代の邦画が面白いんだ、と鼻の穴膨らまし、背伸びして通う小学生にポップコーン半分だけをサービスしてやるのが、老い先短いオーナーの楽しみなのだ。

 


今日は90年代にしてもらうよといつもの生意気な口調で席に着く。あの常連小学生も中学生になった。一丁前に挨拶代りに右手を肩まで挙げて、目を合わせずに1番安いイージーチェアに座る。どうやらそこがお気に入りらしいが、映画の半分も過ぎた頃に、いつも言わずともオーダーが通っているコーヒーとポップコーンがまだな事に気付く。ほかのお客さんの邪魔にならないようにそっとカウンターに向かうと、いつも通りカウンターの向こう側ではヤカンの蓋が踊り、椅子に座ったまま、覚めない眠りにつくオーナーがいたのである。

 

 

みたいな死に方に憧れたこともあった。