立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

少し疲れたのでオシャレにお洒落を語る

詰まる所、お洒落は感性が合わなければただの無駄なものということになる。見る人、身につける人によってゴミにすらなり得るところがファッションの面白いのだとは思うし、要はゴミとお洒落は紙一重であると言いたい。


お洒落女子が目の色変えて飛びつく最先端のファッションは正直なところ何がいいのか理解するのに時間はかかるし、そもそも時間はかけたくないので理解しないし、似たような格好した子を数人見れば、多分自分の中で消化しきれないこともあって流行物が嫌になる。もしも、誰もが口を揃えてかわいいという女子に、鬼の口元すら緩ませそうな満面の笑みで、


これ可愛いでしょ!


と言われたなら、そこは親指立てて星が舞う程のウインクはする。するのはするのだが、夏でもファーをつける気持ちは全く分からない。だって夏だし汗かいてるときは触りたくもないし。


例えば自販機で、渇ききった心と身体に少しでも潤いをと、1秒でも早くと焦る想いがどうもうまく伝わらず、入れても入れても返ってくる100円玉との格闘中、腕にファーがふわっとくっついてきたとしたら、地面を割るレベルの力で叩きつけてしまう。


ファッションに無駄はいらない、かなり昔、中学校の時の先輩にそう教えられたような気はするのだが、時代は変わったのだろう。お洒落するのも大変である。


兎にも角にも好きであること。これはお洒落に限らず全てを楽しむのに最も大切なことだが、かつてのバイト仲間のT君は、冬でも短パンを履くほど短いパンツにこだわりがあり、それもや白や赤といった明るい色を好んで履いていた。


夏が近づくと、彼のパンツは日に日に短くなり、夏を過ぎる頃にはあぐらをかくと彼の大切なボールがチラリするほどになっていた。明らかにK点を超えた短さの真新しいオレンジの短パンを履いた彼は、


これ、いいでしょ!


と、小指ぶつけた後でも笑顔にしてしまいそうな満面の笑みで問うてきた。私は目を閉じて親指を下に向けるのが精一杯であった。


もし宝クジが当たったら無駄にたくさんの時計を着けたいと思います。それでは。