不調な日ほど低めを噛みしめ
首元辺りの湿り気が寝汗を多めにかいていたのを物語り、だから気持ちのいい寝起きとは言えるはずもなく、明け方の厳しい冷え込みのためにトイレの窓を閉めて大きい方の用を足すと、換気扇のパワーが足りていないのか、トイレ周辺がやや臭うという喜ばしくない事態になったりと、朝からリズムに乗れてはなく、やや不調気味である。
長年生きていると朝の目覚めの感じで大体1日の調子がわかるもの。優良可不可で判定したなら、今日はまぎれもない可である。出勤中に熟して潰れかけた銀杏を自転車で踏んだ拍子に運悪く胸ポケットに入ってしまったり、躾の悪いどこかの飼い犬に付きまとわれ吠えられ続けて避けようとした拍子に街路樹にぶつかり、銀杏が大量に降ってきてその中の一つが運悪く胸ポケットに入ることなどがなければ、不可にはならずにほぼ可で過ごせるだろう。
悪くはないが良くはない、これくらいがちょうどいいのである。もちろん良や優を目指すべきだとも思うのだが、毎日のハードルをなるべく低く設定しておくことが、実は幸せへの近道でないかとも思うのだ。
今日は朝からテレビでLINEの特集をしていて、ついつい見入ってしまったのだが、サラリーマンを中心としたお父さんへ、家族とのLINEグループをどれだけ活用しているかのインタビューしていた。その中のお父さんの一人が、画像をアップしていたのだが、既読が付いただけで幸せそうな表情と、「今日はご飯が美味しく食べれます」というコメント。
何したらそんな扱いされることになるのかと同情しかけたのだが、よくよく考えると、上へ上へと高みを目指す人が気にも留めないことを幸せと噛み締めているのは、得していると言えるのではないか。いやいや、得どころか圧勝である。当たり前のことに幸せを感じることができることほど幸せなことはない。幸せはなるものではなく感じるものと嫁の知り合いが言っていたらしいが、しみじみとわかる気がするし、だから、コンビニで1000円しかないと思っていたのに実は2000円入っていたことを幸せに感じようと思います。それでは。