立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

リスクとリターンにジレンマ

駆け落ちと言えば、人生を賭けた一世一代の大決心が良い意味でも悪い意味でも人の心を動かすような気がするし、まるでそんな状況に縁のない人(私を含め)にとってはドラマチックや羨ましいと言った、一度くらいは経験してみたい”憧れ”に近い印象を持つ人が多いかもしれない。当の本人達にとっては恋人と一緒になるため、親との縁が切れるのも辞さないという覚悟のうえの行動である。


何かの欲や夢を叶えようとした時に大きめのリスクを背負わなければならない、ほとんどの場合がそれに当てはまるのではなかろうか。シンプルな表現ではハイリスクハイリターンというが、このリスクがリターンに見合わない大きさの場合、人は行動を迷った挙句、断念してしまうのである。


まだまだ寒いと言いつつも、春はもう目の前に迫っている。日当たりの良い場所では桜の蕾がチラホラみられるようになったし、近所では猫が日向ぼっこしている姿もよく目にするようになった。


花粉症というハンデを背負った事で、お花見では鼻水というリスクとお付き合いすることになったが、このリスクとリターンのバランスが私にとってベストなのである。お花見はもともと好きな方だし、特に夜桜を見ながらのビールは不思議なもので2割り増しとは言わずとも、1割り増しで美味しく感じる。


ただ、花粉症になってからというもの、出来ることなら外出はなるべく避けて、空気清浄機をガンガン効かせた家で、仰向けで一日中過ごしたくはなるのだが、お花見には参加する。誘われなければ参加しないし、人を誘ってやろうとも思わない。誘われれば行く、リスクとリターンのバランスが最も取れた例ではないかと思う。


ハナミズのせいで桜のハナミズ今年の春を過ごすのも少し寂しい気がする今日この頃なので、誘われればお花見に参加するとして、明日から始まる一週間に備え、本日は早めに床につくとします。それでは。

船をこぐ

優しさとは何だろう。愛とは何だろう。少し考えさせられる事があったので、今夜だけは間接照明の優しい明かりの中で聞いてはもらえないだろうか。


今、くそが付くほど忙しい時期で、それに加え、下旬に控える引越しの準備に追われて毎日がヘットヘトのヘッロヘロである。ふかふかのお布団と硬めの枕があれば、お酒も夜景もセクシーな美女もいらない。栄養と少し熱めのお風呂、そして5分でも長い睡眠が今の私たちにはきっと必要なのだろう。


気づけばソファの前に座り込み、2人揃って前後左右にグワングワンと大きく揺れていた。終電で酔っ払いのお父さんがそうなっているのを見た事はあるが、隣に知らない人、そもそも自分の家でないならば、そう簡単に倒れるわけにはいかんと、睡魔に打ち勝とうとするのはわかるのだが、2人ともの慣れ親しんだ家にいるにもかかわらず、倒れまい、倒れてはいけないと必死であった。まだ9時を回ったところである。必要なのは休息かリラックスか。


10分程たった頃だろうか。彼女の寝言でふと目を覚ました。


良かった、明日は日曜日だ。


…我が耳を疑ったし、このまま寝かせといていいものだろうかと悩んだが、知らない方が、夢のままで終わった方が幸せな事もきっとあるのだと思ったので、その時はそっとしておく事にした。


明日は火曜日である。仮に金曜日であれば、笑って起こせたかも知れないが、現実は昨日が日曜日で、今日は月曜日、まだ週のスタートを切ったばかりである。


夢から現実へ、この落差を優しく受け止めてくれるクッションを用意する事は果たしてできるのだろうか。少なくとも今の私にはそんな術は無く、履き違えているかも知れない優しさがそっとしておくという選択肢をチョイスした。


正解だったか不正解だったか、いつか答えが見つかると信じて、このままうたた寝を続けたいと思います。それでは。

よく晴れた冬の日

胸がキュッと締め付けられた。


中学生だか高校生だか覚えてはいないが、本気で人を好きになった時には、息苦しいような、胸が締め付けられるような、だけども心地の良いそれを経験した記憶がある。吸えども吸えども肺に空気が入ってこないような、胸に既に何かが一杯に入っているような、想いを伝える言葉を吐き出す事でしか解決できない、そんな青春のものと今回のものとは似て非なるものである。


社会に出て生活していれば、腑に落ちないこともある。ルールを守っているつもりがいつの間にか破っていたり、知らないうちに他人に迷惑を掛けてしまうことも残念ながらあるのだろう。


ある冬の晴れた日、今日も仕事かとえっちらおっちら自転車こいで会社に向かっていた時のこと、10m程先には3人程が車道に広がる感じで井戸端会議、その手前には携帯片手にユラリユラリと自転車漕いでるお父さん。まだまだ現役バリバリの私は井戸端会議の右側を通るお父さんのさらに大外をスルリとかわしたのだが、運悪く前から自転車乗ったお母さん。決して危なくはなかったし、十分にすれ違えるスペースはあったと私は思ったのだが、


自転車はひだりっ(語尾を強める感じ)


と、お叱りを受けた。小さな、それこそ蚊の鳴くような声ですんません…とは言ったものの、胸が締め付けられてたまらなかった。少しだけ優しさに触れたい。今夜は言いたいこととホットココアを一口だけ飲んで、ぐっすり眠ろうと思います。それでは。

 

かびんなおはなのおはなし

3月も2週目に入り、卒業や入学を目の前に控え、ピカピカの一年生に心を躍らせている子供達の影で、私は晴れてグジュグジュの3年生になる。


少しずつではあるが、無意識のうちに身体は素直な反応をしめしている。ここ数日喉がいがらっぽく、熱っぽく、しかしそれは風邪ではなく、紛れもない花粉症である。今年で3年目、野球やサッカーの選手なら、ルーキーをとうに卒業し、重要な戦力として、チームの中軸として、はたまたエースとしての自覚が芽生え出す頃であるが、私の場合は目を背けてはならない、気のせいでは済まされない3年目である。


1年目、京都に来て初めての年だったのもあり、異常なほどの鼻水に、気づいていないフリをして、空気が合わないのかなでやり過ごし、2年目はくしゃみとシャバシャバの鼻水に溺れかけたが、私はみんなとは違う、まだまだ大丈夫だと、そう自分に言い聞かせて乗り越えた。しかし今年、寒さが少しだけ和らいだ3月上旬にしてすでにくしゃみが出始めたとあっては、憧れの女子に触れた時より反応が過敏で、本当に鼻に花が咲くんじゃなかろうかと、シャレでは済まされそうにない危機を感じている。


自分から立候補したわけではないのに、がんじがらめで担ぎ上げられ、気づけば有無を言わさず最前線でもがいている、そんな心地である。


かつては最前線にいる人たちを、大変だなぁとただ遠くから見つめているだけで、私は無関係だと思っていたし、ほぼノーマークでもあった。正直言うと、春を楽しめるお鼻でいることに、悦に浸って心の中でどうしてそんな事になるのかと、そんな人達を鼻で笑っていたが、その鼻が使い物にならなくなる。


いよいよ有効な一手を打たなければと思うのだが、一体何をどうしたらいいものか、ああでもない、こうでもないと悩んでいるうちにさっさと秋くらいになってくれればなんて思いながらヨーグルト食べて眠るとします。それでは。

コシの話は結局初めだけ

引っコシ先の、まだ内覧すらしていない部屋のインテリア案についての話のコシをいつ折ろうかとコシ眈々と狙ってはいたが、一向にその機会が訪れない。


かれこれ30分になるだろうか、仕事から帰るなり始まった、同居人彼女のまくしたてるようなプレゼン。1が2となり3となり、やがて5になる口頭弁論は天賦の才と認めざるを得ないのであるが、今私は細心の注意を払って待ったをかけなければならないのだ。


帰ってきてベランダから見える夕焼け、もしくは星空を眺めての一服は、1日を振り返り、身体にもう休んでいい、気を抜いていいんだよと休息を促す脳への重要なサインである。


そのルーティーンを乱されるのは睡眠の質、延いては明日一日にも影響しかねないのではと、心が落ち着かない。それより何より昼過ぎからタイミングを逸して行けていない小便が限界寸前である。


ルーティーンを守るためのタバコに行きたいと言ったところで、後で吸えばいいでしょと一蹴されるだろう。トイレへ行くにもタイミングは重要で、間違うと不機嫌にもなり得るもんだから女子は難しい。ここかな、それともこれかなと、その時を慎重に探ってはいるのだが、どれもこれも正解な気がまるでしない。こうなれば、話のタネが尽きるのが先か、私の膀胱が爆発するのが先か我慢比べだなんて覚悟が決まった途端に、行って良しである。


タバコが先か、いやここは小便だと、日々のルーティーンより、生理現象が大事だと体は教えてくれたのだった。詰まる所、結局は本能に従うしかないのではないかと思った1日でした。


さて、三月は出逢いと別れ以上にストレスが溜まる季節だと思うので、今夜もくの字で眠るとします。それでは。

 

〜のような人

10代後半から20代後半くらいまでは、身なりにいろいろと気を使った。特に髪型はオシャレで一番重要、髪型さえ決まっていれば後はどうにでもなると、家具は全部ニトリでいいが、一つだけ高級なやつを置いとけばそれなりの部屋に見える論と一緒だと思っていた。(あながち間違いでは無いと思っているのだが、オシャレな人に聞くと、やはり足元の方が重要らしい。)


その頃は茶髪にしていたし、さらにパーマを当てようか悩んだり(実際は当ててない)、はたまた髪を天に届けと言わんばかりのツンツンにしようかと悩んだり(実際はしてない)、髪型には強めのこだわりを持っていた。


30代も過ぎた頃だろうか。モテへの探究心がやや薄れつつある頃、突然髪型なんてどうでもよくなった。


清潔感。


必要なのはただこれだけな気さえしている。美容院へ行ってもイメチェンしたねって言われない程度で適当にとお願いしている。


そんな様に見兼ねてか、同居人の彼女から、私、今の仕事か美容師かで悩んでいたのと、聞いてもいないカミングアウトをされた。程々に空気は読めるので、切りたいって事なんだなと瞬時に分かったし、少しだけ身構えたが、彼女もいい大人。彼氏を自分好みに変えたいのか、人生の選択を迫られ捨ててしまった夢が忘れられないのかはわからないが、あまりにやんちゃな事はしないだろうと、最悪坊主にすればいいやなんて安易な気持ちでオーケーした。


自分から言い出しただけあって、手際よく私の髪を切ってくれ、私はフムフムとパクチーの育て方とソーセージの作り方を調べているうちに、これといった事故もなく終わり、出来栄えも決して悪くなく、むしろ良くて、4000円程払って尚、知らない人に切られ、見られて話しかけられる事を考えると、一瞬でも身構えた事を謝罪したくすらなった。


彼女自身もうまくできたと上機嫌だし、お金は浮くしで一石二鳥、メデタシメデタシである。


が、違和感は数日後に訪れた。普段から最低限の身なりには気をつけている程度なので、私は鏡を見る機会があまり無いのだが、職場やコンビニのトイレでふと鏡に目をやると、


いとうせいこうの様な人がいるのである。


いとうせいこう、いまいちジャンル分けしにくい人なのだが、口ロロを初めて聞いたときは衝撃的だったし、他にも俳優や作家、バラエティタレントとしてあらゆる場面で活躍している、打ってよし、走ってよし、守ってよし、メディア界の坂本勇人のような人である事は言わずもがな。出過ぎず引き過ぎず、力を入れ過ぎず抜き過ぎずのスタンスが心地よく大好きなである。


最近、よくそのいとうせいこうの様な人が鏡に写るのである。


さてさて、今夜も夜が深くなってきたので、軽くなった髪に反比例して重くなる体重を心配しながら眠るとします。それでは。

男子のカテゴリー

出るわ出るわ、こんなにたくさん出てくるとは思わなかった。いつの間にこんなにたまっていたのか、探せばまだまだ出てくるに違いない。


エンゲル係数を減らすべく、おかずを一品増やすのではなくご飯を大盛りにする節約術の効果も薄く、使った記憶がほとんど無いのに月末になると底をつくお金が次々出てきたならば、少しだけ他人に優しくできそうな気がするし、電車でおじさん同士の会話で、3日前に飲んだバリウムがようやく出てきたよと、しかしそれはそれはどうでもいいお話である。


今回は私にとってどうでも良くはあるが、全く関係の無くもないこと、また人と議論する程の内容でもないので、不特定多数の人が自由に閲覧できて、かつ世の中に分子レベルで影響が出ない私の大切にしている、このブログでそれについて語りたいと思う。


私の記憶、リサーチが正しければ、数年前に、男子を分類するために、肉食系、草食系というカテゴリーが不意にポンと現れたが、ここまでは良しとする。人は気づかぬうちにいろんなものをカテゴライズする生き物だと思うし、それを言語化するのはある意味で凄い事、素晴らしい事だと思っている。が、気付いた時にはロールキャベツ系。この時点で興味の網からはユルリと外れはしたが、どうもまだ視界にかろうじて入るか入らないかの境界線でユラユラしており、こちらとしても無視しようにもしきれない。


しようがないのでチラリと調べると、出るわ出るわ、こんなにこと細やかにカテゴライズされているなんて、当の本人達は知る由もなかったよと、食欲旺盛な女子に言いたい。


さらに、クリームシチュー系、ピーマン肉詰め系、肉巻きおにぎり系、餃子系、魚食系、給食系、アスパラベーコン系などなどお肉に偏りつつも男子の性格をよくそこまで細かく分けれるなと、ロールキャベツとピーマン肉詰めは理論的には一緒じゃないのと思ったが、若い感性にはきちんとした理由があるんだろうな、でなんと無く納得、感心できた。


そしてゆでたまご系。


急にお手軽感である。簡単手間いらずで、おやつにもおかずにもなるし、半熟、固茹で、温泉卵と、見た目は同じでも中身は違う、それがゆでたまご男子、と言ったところだろうか。どんな男子がそれかは知りませんが、やはり私にはどうでもいいことでした。たまごだけに トリ とめのない話もこのくらいにして、今夜は少しだけ寝にくい体勢で眠るとします。それでは。