立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-ミント系タブレットと言えば

ルカクニステルローイかもしくはボンヤスキーか。ベルギー生まれオランダ育ちと聞けば、サッカー界の怪童、もしくは格闘技界の神童とイメージが先行し、どんな怪物なのかと夢を見るように想像してしまう。ベルギー人やオランダ人皆が強くて早くてしなやかな訳ではないのは承知だが、行ったことのない国、会ったことのない人たちのことは、まずテレビで見た情報で印象付けられてしまう。サッカーや格闘技に、ベルギー、オランダのスターがズラリと並ぶから、どうしてもスポーツに恵まれている肉体を持つ人たちと思うのだ。

 


ベルギー、オランダはスポーツしかないのかと言われたなら、ちょっと待てよとワッフルやチョコレートがベルギーから、忘れちゃいませんかとゴッホフェルメールがオランダから手を振りながら近づいて来そうであるが、それもたしかにそう。しかし、私は忘れてはいけないものが一つあると思う。

 


フリスクである。ウィキペディアを見て驚いた。ミント系タブレットの代表格とも言えるフリスクは、実はベルギーで開発され、今はオランダで生産されているようだ。しかも、初めは医療用の薬として使われていたようである。眠気覚ましに口臭予防にリフレッシュに、あれば嬉しいフリスクがベルギー生まれのオランダ育ちだったとは知らなかった。

 


別にそれ以上でも以下でも話題性も盛り上がりにも欠けるけれども、フリスクが好きとだけ伝われば…食べると スキッと しますしね。

雑記-聖徳太子はマジ神

街で見かける、男女数人の外国の旅行客グループのことです。露出された肌にはモリモリのタトゥー、昼夜問わずサングラスをかけ、やはり日本人とは違う感覚だなあと思うのですが、それはまあいいです。私も分からん奴はほっとけ精神で、だらしないと言われがちな格好で出かけることもありますし。他人にどう思われようが、ましてや異国の人に何を思われようが気になりません。そんなもんでしょう。

 


さて、本題に戻りまして、例えば彼らは、京都の街並みを楽しんでいるのでしょうか、ご飯を食べようとしているのかお土産を買おうとしているのか分からないですが、街をぶらぶらと歩いているその後ろとかを歩いてみると、母国語で話をしているのが聞こえてきます。言語的にはフランス語っぽい言葉を話しているグループに多いのですが、全員同時にしゃべってませんか。せーので話し始めたかどうかは知りませんが、バラバラに全員なんかしゃべっているのかと思いきや、笑うタイミングとかはピッタリ一致しているようです。喋りながら相手の言葉を聞き、理解する能力があるのでしょうか。だとしたら羨ましい。鍛えて備わるのなら今日にでもトレーニングに励みたいと思うのです。

 


私の周りの人間には、私が電話中にもかかわらず話してくるタイプの人が多いらしく、不器用な私には電話の相手の話と目の前の人の話を同時に聞くなんてできず、むしろ両方とも聞こえなくなるという特性があります。なので、喋りながら3〜4人の話を聞ける人が羨ましく、聖徳太子はマジ神、マジ卍でございます。

雑記-京都の好きな所嫌いな所

京都の好きなところを聞かれたら、商店街が多いところと答えるかも知れない。活気のある賑わった商店街は、都会とは言え片手で収まるほどだ。

 


ここ京都には、世界遺産は17だか19だかあるだけでなく、街並みやちょっとした小道、町家など他にも見所が数え切れないほどあるとなれば、旅行好きなら一度は訪れたい場所となる。観光客は途絶えず、さあ呼べ、やれ呼べ、みんな呼べと、府や市は観光客誘致にさらに力を入れる。観光客向けの施設や宿泊施設、サービスは増えるにもかかわらず、一度シャッターが閉まった商店街には賑わいがなかなか戻らない。中心地から外れたこういう寂れた商店街にも、観光客が泊まる宿泊施設はあちらこちらに見られるのにかかわらずである。

 


物静かな商店街とはいえ、その地に住む人々は生活している。八百屋や魚屋、肉屋に豆腐屋など、古く年季の入ったお店も、数は少ないがそれでも珍しくはない。観光客向けのお店にシフトチェンジしたなら儲けも格段にアップするんだろうと思うが、そんな所に恐らくは目を向けていない。一回こっきりの観光客より何度も足を運んでくれる地元の人。京都民がよく口にする「伝統」とか「老舗」を大事にするならまずはそこ。そこを蔑ろにしていない、むしろ観光客を毛嫌いしているようにすら思えるお店が私は好きだ。

 


いいスープがでるよ!  路面店の肉屋の、80歳を越えようという小柄だけど元気なばあちゃんが商売の邪魔だと言わんばかりに、やや怒り気味で怒鳴るように言った。どうしたばあちゃん、何をそんなに怒っているの、奥で鳥を捌くご主人と喧嘩でもしたの、とは聞かない。なぜなら原因は私にある。それも2つ。

 


まず一つ鶏ガラ一羽で50円、これを二羽買い支払った額は100円。以上。わかる、わかるよ。こんなんじゃ商売にはならない。横に並んだ唐揚げでも頼んでおけばばあちゃんの笑顔が見れたのかもしれない。

 


もう一つは、2度聞き返したから。ちょうど車が後ろを走るタイミングで喋りかけてくるから。それも2回連続で車通るんだもの。なんか申し訳ないという気持ちにはなるけれど、謝りはしない。なぜなら今度は手羽先とか手羽元とかも買いに行くから、だから許して肉屋のばあちゃん。
 

雑記-雑念と大ピンチ

透き通るスープにやや細めのストレート麺、好きな先輩に話しかけられた女子の頰のような優しいピンク色をした薄いチャーシューが3枚。産まれたての子を抱く母の如き優しい煮汁を十分に吸って綺麗な茶色をした支那竹。トッピングはこの二つだけ。シンプルで美しい塩ラーメンである。

 


十数メートル先の藪に子グマがいるのを目で捉えた。まだ気づいてはいないようだ。近くに親グマもいるのだろうか。だとしたら危ない。さてどうする。息を潜めて去っていくのを祈りながらその場で1ミリも動かずやり過ごすか、それともゆっくりと距離を取り逃げ切るか。あえて大きな音を出せば逃げてくれるか。徐々に大きくなる鼓動、足のすくみ、額の嫌な汗、浅くなる呼吸の中、頭の中は思いの外冷静で、いろんな選択肢が頭をよぎる。どうすればこのピンチを乗り切れるのか。

 


固まりかけの溶岩のようなドロっとした黒いカレールー、炊きたてのご飯は白米ではなく、麦がブレンドしてあり、お肌やお通じ、貧血にも良しとされる所謂麦飯。ご飯とルーの境界線には、遠慮がちにルビーのように赤く輝く福神漬け。さらにご濃厚なルーの箸休め、サラダとトッピングのいいところどり、千切りキャベツをご飯の端半分に。最後にサクッと揚げたてカツをのせればそれが金沢カレー

 


雑念である。ついに姿を見せた親グマに見つかり、時間にして1分だろうか、1時間だろうか、1人と1匹のにらみ合い、膠着状態が続く。まさに今死の淵まで追い込まれ、いかにして命を死守しようか考えるべきなのに、浮かぶのは美味しいご飯のことばかり。熊さん親子は私をご飯だと思っている生きてきてもっとも危険な場面なのに。これはあれか、脳がショートしてるのかしら。もうじき優しかった爺ちゃんのもとへ旅立つのを予感してのあれか。そうだ、こうなったら抗おう。襲ってきたならせめて抵抗しよう。みんないつかは死ぬし、私の死肉があの熊親子の血肉骨となり、また他の生き物の血肉骨となる。自然の摂理とはそんなものだ。ほうら、一歩、また一歩と近づいてくるよ。さあ覚悟を決めて、せめて目玉の一つでも食らってやろう。

 


薄くサクサクとした生地にとろーりととろけたチーズ、トマトとサラミ、バジルがイタリアの国旗を表している。そうピザの王様マルゲリータである。

雑記-睡眠をとることの難しさ

月曜日の早朝4時、光を発しながら小刻みに震えるスマホに起こされた。繰り返すが月曜日の早朝4時である。まず寝ぼけながら回らない頭で最初に思ったのは、身内に何かあったのかということ、もしくは溺愛してやまない飼い猫の不幸か。または中学か高校の同級生が実はずっと好きだったけれど、来月結婚するの、だから酔った勢いで電話しちゃったという酸っぱさが随分と強めの甘酸っぱい愛の告白…ということはまずないか。三度繰り返すが月曜日の早朝4時である。あと4時間足らずで始まる長い1週間に向けて、5分でも長く睡眠時間を確保したいというのが普通だろう。私もいい歳。大学生でも夜のお仕事をしているわけでもないのに、そんな時間の電話が良い知らせなわけはない。

 


目を出来るだけ細くし、スマホの光からの刺激を最小限に抑えながら画面を除くと、090以下、ランダムに数字が並ぶだけだった。身内からの電話ではないことに、一旦は安堵したが、またすぐに別の不安が湧き上がった。こんな時間に誰。ただの間違いである可能性が高くはあるが、知らない番号から朝4時に電話がかかってくると、ホラー的な恐怖を感じずにはいられない。もちろん、はい、もしもーし、と出られるわけもなく、睨み合っているうち程なくして着信は切れた。留守電にもメッセージはないし、重要なことならまたかかってくるだろうと、再び眠りにつこうとしたが、すぐには無理だった。

 


なぜならその時、微妙に小便がしたかったからだ。時間は4時、朝まで我慢できなくはないし、今トイレに立てば近頃めっきり冷え込んだ寒さも手伝ってきっと目が冴え、眠れなくなってしまう。ならば我慢して知らぬふりして眠りにつこう。考えないようになるべく膀胱を刺激しない体勢をゆっくり探りながら、目を閉じてゆっくり10を数えたが、ふとした時、ウトウトした時に小便を思い出す。思い出す度再び暗がりの部屋に戻されまた振り出し、これを5回は繰り返しただろうか。いい加減トイレ行ってすっきりしてから熟睡しようとベッドから立ったら目覚ましが鳴った。

 


悲惨な月曜日朝である。睡眠時間的には十分のはずだが、いつもより眠いのは、(多分)間違い電話のせいだが、すぐに小便をするという選択をしなかった私のせいでもあるし、今日のところは水に流すとしましょう、トイレだけにね。
 

雑記-鶏ガラを買った話

夕陽がビルに反射してオレンジに染まる頃、猫が小走りで駐車場から駐車場へと移動する風景がどこか切なく、理由もなく寂しくもなりがちな秋のせいで気に迷いが生じたか。暇だと大の字になって叫ぶほど時間があるわけでもないし、できたら本を片手に映画見ながらウトウトとしたいというのに、やらなければならないことが進まず煮詰まった結果、何を思ったか鶏がらで出汁をとってみた。

 


まずは鶏肉屋さんで一羽50円の鶏がらを2羽買った。初めてガラを買ってみて、鳥の尻尾は思ったより長いと思った。帰って流水で内臓や血合いの残りを丁寧に取って、一度湯通ししてもう一度流水で洗って、手でパキパキ割り、水を入れた圧力鍋に適当に切った生姜と一緒に入れて、蓋をせずに煮立たせて、アクを30分かけて取り、今度は蓋をして圧をかけて待つこと20分。その間に腹が減るとイライラするという嫁を朝の残りのスコーンでなだめたりしている間に時間がきたので火をしばらく放置して蓋を開けられるようになるまで待って、器にとって塩を入れれば、美味しい鳥スープの完成である。

 


面倒な料理をするのは好きだ。料理中は夢中になれるし、嫌な事を忘れられる。完成したときに得られる達成感と満足感は他の人にはわからない、自分だけのものである。この時間がずっと続けば…おっと感傷的になってしまった、柄にもなく。鶏ガラだけに…。はいおしまい。
 

雑記-まだまだこれから

連日の疲労困憊を示唆する言動に、口には出さないまでも、またか弱音吐かずに戦えクズやろうとの、ゲンナリとした叱咤とも激励とも取れる心の声があちこちから聞こえているが、今度こそ、今度こそいよいよだ。

 


もともとはタフガイとして名を馳せた。骨折をしながらサッカーの試合に出たことは一度じゃないし、年に一度しかひかない風邪は、神がくれた休息の日だとすら思ったし、金に困って3日間アクエリアスだけで過ごしたことも若い頃にはあった。タフと呼ばれる肉体とは反対に、飴細工よりも綺麗で脆い、デリケートな心を持つ繊細人としてもお馴染みではあったが。

 


繊細話は置いとくとして、このタフガイが、タフガイなのに悲鳴を上げている、ヘルプミーと。こりゃ一大事です、えらいこっちゃですと言おうもんなら大袈裟だと喝を入れられそうではある。だけど優しいあなたなら聞いてくれると思って話すが、「夕陽」を「夕腸」と読み間違えるのはどうなのか。何だかいい言葉だと頭の中で夕陽と腸をイメージしたところ、キャンプで夕焼けの中ソーセージを焼く風景が浮かんでくるのは、どうなのか。現実からの逃げのススメ、緊急時の赤いランプがクルクルピカピカしているからであると考えられないか。

 


ギリギリではあるが、まだ大丈夫。身体は悲鳴をあげても心は折れていない。焼けたソーセージがその後どうなるか、見届けるまではもうちょっと頑張れる…のか。