立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-欠かせないもの

思わず二度見した。信じられなかった。今日が水曜とか本当にどうかしている。

 


肩から背中、腰を通り越してケツまでヒッシリと侵食して固まって、それがミルフィーユのように重なり重なり、震える膝を地面に付かぬようにするので精一杯の鈍く重くなった疲れから察するに、どれだけ少なく見積もっても今日は木曜夜のはず。金曜夜でもおかしくないと言うのに、嘘でしょうよ。これから水曜日のダウンタウンの日とか、ショック過ぎて笑えるのか不安である。

 


嘘なら嘘だと言って欲しい。大丈夫。怒ってないから。正直に言ってよ、ねえ。ホットコーヒーとチョコレートの優雅な食後のデザートタイムを終えた後でもいいから、ドッキリでした、実は今日は木曜なのねー、とそう言って欲しい。

 


私には無理である。現実を直視できない。あとまるまる2日間も乗り切る気力も体力もなく、最近よく耳にする言葉でいうなら、生産性はほとんどなく、あるのはいかに楽しようかというサボり欲とそれに付随する、ほんのわずかな後ろめたさと開き直り。「生産性」の使い方が合っているのか違っているのかわからないまま、時間は1分2分と過ぎていく。嫌ならサボればいいじゃないと割と軽めに言ってくれる嫁で良かった。そうさせてもらう、ありがとうと言い、テレビのスタンバイ。

 


しょうがないから、明日朝一番にレッドブルを2本買おう。一本は朝の通勤中に、もう1本は昼のため及びお守りとしてカバンの中に忍ばせて。さて、割り切って腹抱えて笑って寝るぞって、今日水曜日のダウンタウンないんかーい!

雑記-悔いなく漂う

目標を設定しなければいけないと思う。短期、中期、長期の目標を設定すればただ時間がないと焦る日々から抜け出せそうな気がするのだ。あれもこれもと手を出して収集がつかなくなりつつあることにさらに焦りが募るばかり。こりゃいかん、いかんですよと昨日の晩に録画したドラマを見ながらそう思った。

 


転がる石のように固く重い訳でもなく、良くも悪くも陽の光を遮る雲のような掴めない存在でもなく、後から余韻が残る鰹出汁のような舌で感じるそれのようなものでもなく、見える人には見えるがほとんどの人には見えない細く長く何となく漂っている蜘蛛の糸のようになりたい。

 


昔誰かが、明日死んでもいいように悔いなく毎日を生きなければならない、と言っていた。それはそう。確かにわかるが今ピンピンしているのに誰が明日死ぬと思う。だから私は緩く生きるし、息切れするほどペースを上げる必要もない…と日々生きてきたが、先日、3日後に死ぬとしたら、余命3ヶ月なら、余命3年ならと本気で想像してみたなら、あれもそれもこれもやりたいことは数あれど、どれも志半ばで死すと。達成感を味わえずにこの世を去るとなると、後悔しか後に残らんなあと思ったわけで、ならばできることをやったろうやないかいと、奮い立った次第である。

 


なのでまずはあれだな。今年正月に立てた目標を思い出すところから始めようか。

雑記-おねだりの仕方

物欲が後を絶たない。過ごしやすい季節の風に心と財布が緩んでいるのか、食欲の秋に声高らか宣言したダイエットの影響か、欲しい物が次から次へと湧いてでる。特に今、必ず手に入れたいものが、カメラのレンズと鉄のフライパンだ。

 


物欲があること自体は悪いことじゃないと思う。何にも欲さず世俗の流れに身を任せるままに生きようとするところが、最終的に行き着きたい境地ではある。ただ、30代半ばと言えば人生の折り返し地点も未経験のペーペーであるからして、欲を捨てるにはまだ早い。今無欲になろうとするのは、一種の「逃げ」であるとすら私は思う。酸いも甘いも、苦いも辛いも、ラッキーもアンラッキーも人一倍全て経験したのなら、それも納得できる。今はまだギラギラした部分を原動力として世の中を楽しむべきなのだ。楽しむためにもカメラのレンズと鉄のフライパンが欲しい。

 


いつのことだろうか。人よりも物欲が無いと気づいたのは。昔は昔、保育園の頃、あの頃私はオモチャが欲しくて欲しくて仕方なかった。その時は間違いなく人並み外れた物欲と食欲を有するクソガキだったが、私に甘く優しかったじいちゃんにわがまま言ってオモチャをねだったものだった。当時の心境をはっきり覚えていないにしろ、多分今の私は当時よりもその欲が強い。

 


カメラのレンズ、鉄のフライパン。カメラのレンズ、鉄のフライパン。呪文のように唱えたところで空から降ってくるでもなく、それ相応の対価を支払って手に入れるしかない。

 


さてこれから嫁との決戦である。普段から物をねだる時(仕事で使うユニクロのジャケットとか、自転車の空気入れとか、ベランダのサンダルとか、ペヤングとか)は、買ったらいいよ(^^)と笑顔で即答。そりゃそうだ。必要なものだから。カメラのレンズ、鉄のフライパンは無くてもさほど困らず、マイナスをゼロにする道具と言うよりはゼロをプラスにする嗜好品である。大事にするから、仕事頑張るからという単純な子供のおねだりのようなことはしない。

 


ここ数日寝入った嫁の耳元で、レンズと鉄のフライパンの良さについてプレゼンを繰り返したと言えば言い過ぎだが、それでも夕食時や歯ブラシ時にさりげなく唱えた呪文がそろそろ耳から脳へと入り、心を包み込んでいることだろう。近々、スイーツを食べてウットリしている嫁の横から矢を射るようにズバッとお願いをしてやろうと思っている。
 

雑記-秋が深まりつつあるから、風邪と風邪の予防

8時間寝たからと言って調子が良いとは限りません。むしろ朝から夜眠るまでずっとつきまとう、まるで回らないぼーっとした頭に鈍く響くような痛みと、まだまだ始まっちゃあいないと言わんばかりの猛烈な睡魔を生むこの体質は、多忙なサラリーマンにはむしろ不利な気がするのです。寝なきゃ寝ないで眠たいし、たくさん寝たら寝たで眠たい中で、戦っていると、必死に戦いながら毎日頑張っているんだと1人でも多くの人に知ってもらいたいなと思うのです。

 


くしゃみと同時に、豆腐を崩したような真っ白で、形があるようなないような、カリッとしているようで全くしていない鼻くそが飛び出してきたからではないですが、風邪に気を付けたい季節となりました。

 


風邪の予防はうがい手洗いと食事、そして何より睡眠らしいですね。

 


体の違和感を感じたあの日、これ以上悪くならないように、まだ風邪だと脳が自覚する前の、体にウイルスが侵入してきたとわかったその日に予防と称して8時間睡眠をとったところ、朝起きて元気を取り戻したと思いきや頭痛と睡魔です。頭痛の風邪や風邪をひいた怠さから横にならないといられなくなることを考えたなら、風邪の時とさほど変わらない症状をもたらすことになる予防に何の意味があるのでしょうか。いっそのことしっかりと風邪をひいたなら仕方なく仕事を休んで、無理はよくないと家事をサボっても倦怠感があったとしても罪悪感に苛まれることはないのに。

 


無理に風邪を治す必要性に疑問を感じる今日この頃ですが、世間では秋が深まりつつあります。大事な休みを有意義に過ごせるよう、ご自愛ください。

雑記-雲行き怪しい空に

不意に降り始めた雨に、思わず飛び込んだファミマの窓際のイートインスペースで、何かを口にしたい気分ではなかったが何も買わずに席を取るのも気が引けるので、ホットコーヒーを頼んで飲んでいた。雲の様子をぼんやり眺めて、真っ黒だった雲が灰色から白に変わるグラデーションをひとしきり楽しんだあと、雨雲が流れる様子を時間共に確認できるアプリで、西から東へと流れる雲の切れ間を見ながら帰る隙を伺っていた。

 


普段なら多少雨に濡れるくらいなら心地良いと感じるところだが、この時は違った。嫁に内緒で美しい人とデートに行くとか、これからバイトの面接があるとかではなく、買ったばかりの紙袋に入った本が濡れるのがすごく嫌だったからだ。徒歩5分の最寄りの本屋に置かれてなかった本を求めて徒歩15分のツタヤ併設の本屋に遠出して、思ったよりも長居して、店を出た時には空が暗かった。

 


多少体が濡れる分には構わないが、買いたての本が濡れるのは御勘弁願いたいところ。だけども30分は無理でも15分くらい大丈夫だろうと根拠なく歩き始めたが、案の定、本屋と家の中間地点よりずっと本屋よりのファミマでお茶を濁す結果となった。

 


家路を涼しげに飾った雨は思ったよりも早くやみ空に虹を架けた。結果論だが、ゆったりとした時間を楽しめた。雨も悪いことじゃないと歩みを進めたが、嫁にご飯を炊いとけと言われたのを忘れているし、もう嫁が帰る時間だし。我が家の雲行きがとうやら怪しい。

雑記-ベストは仕事が1番好きということ

嫌ってほどビールを飲んだわけでもないし、無理にテキーラをあおったわけでもないし、支払い額が2000円といつもより随分と少額だったという記憶もある。帰ってからはシャワーを浴びてベッドに入ったのが1時過ぎと、飲みに行ったにしては随分控えめだったのに、次の日の朝、きちんと二日酔いになっていたのは体の衰えであると思わずにはいられない。

 


2日徹夜しても眠い目擦りながら復活の呪文「気合いだ」を唱えたなら、どうにかなったあの時と今は違う。1日だけならまだいけるが、2日となればもう絶対に無理だ。気持ちに体がついて行かずに、催眠術師に目の前で指をパチンと鳴らされなくとも気が付かないうちに眠っていたとなるのが関の山。そんなことはわかっているし、無理をしようと思うこと、すなわち遊びに対するモチベーションも歳と共に低くなってきている。老後は静かな山奥で女房と二人で畑でも耕して…と、そんなに穏やかで平和なことは考えてはいない。だからなおさら無茶は良くないと、自分に言い聞かせる、そんな歳になった。

 


私はあと60年は仕事をリタイヤするつもりはない。まだまだこれからだというのに、すでに体力がこんな様子じゃ将来が霞んでよく見えない。

 


脂が抜けてカスカスになり始めるのはいくつぐらいだろう。裸の美人に誘惑されても、そんなつもりはない、と羽織っていたコートを優しくかけられるようにもなるだろう。自分を大事にしなさいと軽く説教じみたことを言えるようになったことに少し酔い、また、趣味で盆栽とか嗜むようになるのだろうか。小川のせせらぎ聞きながら、手作りの竿でヘラブナ釣りを楽しむ日がくるのだろうか。

 


ともあれ、何かを得る場合にはリスクが伴う。趣味も仕事も長く続けられるよう健康管理は必須。ヨガを始めるかもしくはポテチを断つか、趣味と仕事を得るために何かアクションが必要である。

雑記-無理なく緩くダイエットを始める

マックでハンバーガーとポテトをコーラで流し込みながらダイエット中だと言ってもそれは詐欺だ。コンビニの弁当とポテチを脇に置き、ソファに寝そべったまま漫画とテレビで休みの日を消化しているようではダイエット中とは言えない。

 


マックは月に一度行けばいい方だし、休みの日は自転車でどこかに出かけるのが普通だから上記2つには当てはまらない。だけれど、長年ダイエット中だと言いながらも引っ込むどころか出幅が増えた腹部に焦りを通り越して「あきらめ」や「ほうっておく」という感情が常に先行して、もはや清々しく落ち着いてすらいる。逆にもっと太れば出た腹は目立たなくなるのではないかという、いよいよ、最終段階の思考になっていると気づいた。

 


まだ40の大台には5年ある。かつては健康オタクと呼ばれかけた過去があるのに、今では不摂生をしたらこうなるという悪い例で紹介されそうな現実に、このままでいいのかと嫌悪している今日この頃。厳しい暑さは過ぎて、何かを始めるにはちょうどいい。ほうっておいて固まる覚悟なんてまずないし、だから今ここで、ダイエット開始を宣言したい。いや、正確にはすでに三連休最終日の朝から始めている。甘いものはレッドブル以外摂らず、完食は一口だけ。三食の食事は腹8分目、夜9時以降は水、お茶以外は口にせず。まずはこれくらいから始めようと思います。