立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-まだまだこれから

連日の疲労困憊を示唆する言動に、口には出さないまでも、またか弱音吐かずに戦えクズやろうとの、ゲンナリとした叱咤とも激励とも取れる心の声があちこちから聞こえているが、今度こそ、今度こそいよいよだ。

 


もともとはタフガイとして名を馳せた。骨折をしながらサッカーの試合に出たことは一度じゃないし、年に一度しかひかない風邪は、神がくれた休息の日だとすら思ったし、金に困って3日間アクエリアスだけで過ごしたことも若い頃にはあった。タフと呼ばれる肉体とは反対に、飴細工よりも綺麗で脆い、デリケートな心を持つ繊細人としてもお馴染みではあったが。

 


繊細話は置いとくとして、このタフガイが、タフガイなのに悲鳴を上げている、ヘルプミーと。こりゃ一大事です、えらいこっちゃですと言おうもんなら大袈裟だと喝を入れられそうではある。だけど優しいあなたなら聞いてくれると思って話すが、「夕陽」を「夕腸」と読み間違えるのはどうなのか。何だかいい言葉だと頭の中で夕陽と腸をイメージしたところ、キャンプで夕焼けの中ソーセージを焼く風景が浮かんでくるのは、どうなのか。現実からの逃げのススメ、緊急時の赤いランプがクルクルピカピカしているからであると考えられないか。

 


ギリギリではあるが、まだ大丈夫。身体は悲鳴をあげても心は折れていない。焼けたソーセージがその後どうなるか、見届けるまではもうちょっと頑張れる…のか。