立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

あがり

サイコロを転がすか、もしくは数字が並べられたルーレットを回して出た数字の分だけ進むのは誰もが知っているすごろくですが、他のゲームも然り、ゴールをすることをあがりと言います。


生き物としてのあがりはきっと子孫の繁栄に成功できた時だと思うのです。つまり動物であれば生殖機能が衰えるまで、交尾を数こなし、とにかくたくさんの子を産む、優秀な強い遺伝子を数打てばあたると言わんばかりに、一体でも多く残すことができたなら死を待たずして、はい、一丁あがりでしょう。


人も生物ですし、子孫繁栄は最も重要な使命であると思うのですが、攻撃する術や逃げる術など、身を守るための武器や道具を一切持たないまま、他の動物に比べ脆弱な状態で生まれる人間は、それこそ一から十まで大人の助けを借りなければ生きていけません。そう考えると人としてのあがりは、子供が人間界でご飯を食べていけるようになった頃でしょうか。それとも孫が生まれて遺伝子が繋がったのを見届けたらなのでしょうか。


閑話休題、お寿司屋さんの大将にあがりをお願いすることもできないほど恥ずかしがり屋で、かわいらしく言うとウブな私ですが、今度予定している人前でのスピーチにあがらないためにはどうしようかと考えることで一杯一杯。人としてのあがりを考えるよりも、このあがり症をどうにかせねばなと、切に感じた今夜は、少しだけ夜風が寂しく感じたので、狭いダンボールの中で眠ろうと思います。それでは。