立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

禁煙の波と思い出

非常に肩身が狭い思いをしています。何も今に始まったことではありませんが、少し離れたよく行くコンビニの灰皿が撤去されました。私のような節度ある喫煙家にとって、屋外の灰皿は憩いのオアシスなんです。何も灰皿を見つけるたびにタバコに火を点けようって気はさらさらございません。友達といる時、嫌な用事が終わった時、徹夜明けの帰り道。ふとした時に灰皿があれば、私たちはそれで心が満たされるのです。


昔は一日一箱吸うことも珍しくはありませんでしたが、乗りたくもない禁煙の波に乗らされて、気づけば平日に吸う本数は、朝一本、夜二本の三本くらいのもんです。禁煙の場所で無理に吸おうなんてことは絶対にないし、喫煙できる場所でも人が多かったら様子を見るしで、それなりに気は使っているのです。だからと言って喫煙者の社会的立場が良くなるわけではないですし、時間の無駄や病気になるなどの否定的なご意見はその通りであると思うのですが、時間の浪費と健康を失うリスクを負いながら思い出を作っているんだなあぐらいに思って、そっとしておいてはくれないでしょうか。温かい目で見守っていただけないことはわかっているので、どうか見て見ぬふりくらいはしていただきたいと思っているのです。


最近ぼーっとする時間って意外とないのではないでしょうか。SNSやらゲームアプリやらの発展に伴って、一日中スマホを触っているという人も多いのでしょう。その点たばこを吸う数分間は物思いにふけったりする時間として最適です(もちろんスマホを触りながら吸う場合もある)。友達との連れたばこでは、思いの外話が盛り上がる場合は多いし、バーで隣に座った女の子にライター貸してもらえませんかと話しかけられ、そのまま盛り上がって朝までコースなんて可能性もなくはありません。


百害あって一利なしは言い過ぎで、私は一利くらいはあるように思っているのです。と、ここまで必死に喫煙者として演説してきましたが、どうにもこうにも負け犬の遠吠えくらいにしか思えなくなってきたので、本日はこのあたりで失礼するとします。それでは。