立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

2017年のエンディングと年賀状という文化

2017年のエンディングが、意識せずともすぐそばにハッキリと感じ取られる、クリスマスイベント最終日の今日である。毎年決まって年が明けたと思えば、必ず年が暮れ、その度に何かやり残した気がして振り返って見ると、年始に天と地に向け固く誓った大きな目標に全く手を付けず、残念なことになったと頭を抱えるのがちょうどこの時期である。


例年通りならあと2日もすると、頭を抱え天と地が逆さになるほど悩んだことなど、どこ吹く風、目の前の大型連休に向けたスケジューリングに忙しく、今年もよく頑張った、来年も頑張ろうと1人でふふふふんと鼻歌混じりの反省会して年越しの準備にとりかかるのだが、今年はどうやらそうもいかないらしい。


問題は年賀状である。例年、出すか出さぬか曖昧なまま31日を迎え、それから急いでコンビニに走り、とりあえずは偉そうな人向けに、可愛らしいイラストの入った年賀状に一言付け加えて住所を走り書きして投函。あとは年始に届いた分にお返事を書いて出すのだが、どうも結婚すると1月1日に届くように年賀状を出さないといけないらしい。そんなの結婚前に聞いていないと愚痴りながらただいま準備中である。


しかし、年賀状という文化はこのご時世で最も逆行している。手書きで一通一通仕上げていた時代は遥か昔、今やパソコンでカタカタポンであっという間に綺麗に出来上がる。便利だなあと思う反面、心通わぬ仕上がりに、こうまでして続ける意味はあるのかと疑問だし、それならばSNSとやらで十分とも思う。それでも日本人らしい、古くからの文化は廃れて欲しくないという気持ちもある。


ならば手書きで心込めて書けばいいのだが、それはそれは圧倒的に面倒、途中で挫折するのは火を見るよりも明らか。奇しくも、やらされながらも文化を継承していると言われたなら、そう簡単に止めれなくなるが、止める止めないはまた来年考えようと思います。それでは。