立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

濡れない雨はない

今かまだかと首を長くして待ち望んでいる夏休みがようやく秒読み段階に入ったところ、ノロノロと接近してくる台風のせいで朝からかかなくていい汗だらだらかきながら駅まで早歩きして、目の前で運良く二つ席が空き片方に腰掛けたのだが、もう片方に座った女子が、気持ち私から離れて座ったのはいいとして、その子のビショビショの傘が私のズボンにもたれかかっていたのを、ズボンがしっかり水を吸った後に気づいたのは、ミステイクと言うか、宮本武蔵なら修行不足と己のせいにして山にこもるのだろうが、私にはその子が悪いと思うし、どないしてくれはんねん、ほんまに、と慣れない関西弁を使ったところで、最初から濡れてた濡れてないの、雨だけに水掛け論になるし、濡れていなかったとどれだけ主張しようが、これだけの汗は、説得力を著しく低下させるため、気づかれないようにそーっと足をずらして、我慢した。


実は雨に濡れるのはそんなに嫌いではない。メガネの水滴が視界の邪魔になったり濡れてクーラーの効いた場所に立ち寄るとキンキンに手足が冷えると言った煩わしさはもちろんあるわけだが、雨のひどい日に自転車をやめてバスや電車に乗る理由は社会がそうさせているのである。ビショビショで会社に行くと、パソコンが仮に防水であっても、ネチネチの定年間近が、


キミキミ〜そんなんで仕事になるとでも思っているのかね。こんな身なりで何しようってのさ。仕事ができるできない以前なんだよ。そういやこの前飲みに行った時キミだけビール注ぎに来なかったね〜。そういう部分からして君は不合格なんだよね〜。ん? 今僕、間違ったこと言ってるかな〜。ん〜?


と終日、顔を合わす度に言われるのだろうが、どれだけ腹が立ってもこの場面で正しいのはネチネチの方であり、別にこれくらいパワハラだと騒ぐほどでもなく、それがきっと社会の常識と言うものなのだとも思うし、それでもネチネチは嫌いであるが、我慢一択の場面である。私の理想は、雨予報が出ても傘を持たずに外出し、そこそこ強い雨が降ったらパーカーのフードをザクッと被って走り出すわけでもなく、そのままのペースを守って歩き続けるスコットランド人(イメージ)のようなスタイルである。ああいうざっくりとしたスタイルを良しとする文化だけはもう少し真似てもいいような気がするわけだが、そもそもそう言えば一着もパーカー持ってないし、まずは安めのパーカー買って、コンタクトにして、緩めのパーマで金髪にして、腕に勉族という意味のない漢字のタトゥーを彫るところから始めるとします。それでは。