立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

コラム-服のサイズに依存するモチベーションとストレス

こと仕事に関してですが、やれと言われると途端にやる気を失い、やらなくても良いことにこそ時間を使いたくなってしまう私ですが、今日は違いました。いつも携えているモチベーションと姿形は瓜二つですが、中身はまるで別物、例えるならキュウリとスイカぐらい違います。瓜二つだけに。


抑えきれない情熱とでも言いましょうか。溢れ出るパッションと言い直せばより伝わるかもしれません。持て余す心のエネルギーを仕事に使うなんて勿体無いし、鴨川のほとりで愛を育むカップルに、結婚観を聴いてまわりたいのですが、それは余計なお世話ですし、そもそも年齢的な意味でも誤魔化しが効かないいい大人という事実、これが何とか私を諌めてくれました。


ここまで元気があると何でも出来そうなのですが、倫理が「何でも」を抑制するようになったのは、それもやはり大人になったからでしょうか、それとも勇気や勢いが無くなったからでしょうか。どちらにしても歳をとったからと言えるでしょう。


それが良いのか悪いのかは今の段階では分からないし、将来振り返ることにして、なにも歳をとって変化を遂げたのは心だけではありません。言わずもがな肉体もそうです。


しかも肉体に関しての変化は全てマイナス面への振れのように思えます。中でも私が気になっているのは筋力の落ちに伴う、腹の出っ張りで、あぐらをかくとズボンが食い込んで少し苦しいし、そのせいもあるのでしょうが、ズボンの太もも周りの裁縫された糸がギチギチと悲鳴をあげるのです。それに引っ張られるようにふくらはぎにも適度な圧が加えられ、血液が停滞しているのがよく分かります。


ただ事じゃないと気づくのに時間はさしてかかりませんでしたが、あえてこの事態を見て見ぬ振りすることにしました。緩める(甘やかす)と大変な事になる。言葉に出さぬまでも頭の片隅にこの言葉の存在を確かに感じていたからです。


背中のお肉にそう思い込ませればそうなるという、女性の寄せ上げの逆バージョンのようなものです。もうすぐで一冬越せそうと思ったのですが、さすがにズボンの限界だろう、仕事中にはち切れてしまうと誇りと職を失い、代わりに一生涯の恥を得ることになるという嫁の言葉で、ズボンを新調することとなりました。


お陰で、あぐらがかけるし、落ちたものをしゃがんで拾えるし、下半身の血の巡りが良くなるしと、ストレスがまるでなくなったのです。


本日の良質なモチベーションは、血液の巡りが良くなって脳にまで酸素が行き届くし、無駄に裂けや破れに対する無駄な不安を取り除けたことによるものなので、冬のズボン新調は結果的に良かったとも思うのですが、たぶん春夏用のズボンももう履けんかもなという一抹の不安を残してはいるのです。できることならスリムな服装がトレンドである時代は早めに去ってほしいと願ってやまない今日この頃でした。