立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-昼休みのうまい過ごし方教えて

本当は繊細なのだ。嘘ではない。押せば割れるし引いても割れる飴細工でできたような心の持ち主と自覚しているから逆に、図太いフリもできるのである。だけどフリは所詮フリ。いつか破綻して頭を抱えることにならないためにも誰か教えてほしい。昼休みの取り方についてご教授願いたい。


私の勤め先は昼12時から13時までが休みだ。だが仕事の都合上、休みに入れるのが例えば12時15分とかになることも少なくない。その場合、13時15分までが昼休みとなる。…はずだが、13時を過ぎた頃から周りは仕事モード。なんとなく居心地悪く1人ニヤニヤネットサーフィンを楽しむことに息苦しさを感じるのだ。


文句を言われる筋合いはない。12時15分まで働いたから、13時15分までは休みを過ごす権利もある。堂々としてればいいのにソワソワし始めて13時5分には周りの雰囲気に飲まれて仕事を始めてしまう私は会社の犬と化してしまったのだろうか。


何年か前、同じ場所に同じ時間に来ればエサをもらえると思うな、 と会社の朝礼で、抱える社員に言い放った経営者がいると知り合いから聞いた。今だと盛大に盛り上がるのだろうけど、その時はまだ火の手は上がらなかったみたいだ。仮に経営者の丸焼きができたとて、図太い人なら丸焼きになったことすら気づかないのだろう。少し羨ましい。でも関係はないからどうでもいい。とにかく、昼休みのうまい過ごし方、誰か教えて。

雑記-サイ狙いのアドベンチャーワールド

何においても結局のところ、楽しんだもん勝ちだと思うんです。イヤダイヤダと言いながら出勤しては、仕事の合間に上司の目を盗んでアプリで漫画を読み漁ってみたり、気の進まない仕事をさり気なく誰かに擦り付けてみたら、まんまとそれがハマって仕事が一つ減ったり、嫌なことでもいろんな楽しみ方ができるものです。楽しみを見出せば白黒な日々でも色採りを加えることくらいはできますよね。


だけど、人間は飽きる生き物です。毎日会社と家を往復するだけだとさすがに楽しみが枯渇してきます。僕のような薄氷のように繊細な心の持ち主は、味のしないガムのような毎日に耐えられず、いつか人格が破綻してしまうことも考えられるので、この連休に和歌山のアドベンチャーワールドに行ってきました。出発当日、バッテリーが上がって車が動かなくなったり、止む予定の雨がなかなか止まなかったりと、バッドハプニングはありましたが、結果的に満足する内容でした。


好きな動物はと聞かれたら、サイかオオカミと答えます。このアドベンチャーワールドではサイをかなり至近距離で見られるということもあって楽しみにしていました。実際、多分2メートルも離れてないだろう間近でサイが見られて本当に興奮しました。が、ちょうどそのサイを見終わり、楽しみの余韻に浸っている時、どうも嫁の調子がおかしいんですよね。カバンを開けたりポケットを弄ったり。どうしたと聞くと、手袋が片方しかない、と。買ってまだ間もなく、1シーズンも越してない手袋の片方をどうやら落としたようです。


来た道を戻ることも考えましたが、このアドベンチャーワールド、めちゃくちゃ広いんですよね。私が戻って見てくることも提案したのですが、諦めると嫁は決断しました。ずっとワイワイと楽しかったんですが、多分嫁より私の方が気落ちしてしまい、少ししんみりと歩いていたら、きっとそれに気づいた嫁が謝ってきたんですよね。いや、勝負を挑んできたんですよ。


「ごめんなサイ」


って。いやいや、なんなのよそれ。急に攻撃的だなとびっくりしたんですが、私も返す刀で反撃しました。


「気をつけなサイ」


って。するとまた、


「サイ近よく物を落とすわ」


とか言ってくるんですよ。ここまでされたら完全に戦争ですよ。嫁と言えども許しません。


「サイフは落とさないようにね」


とこちらからも仕掛けました。するとすぐに


「そうね、帰れなくなるとサイ悪だもんね」


我が嫁ながら恐怖を感じました。このままじゃ双方ただでは済まないと思った私は、事態の収束につとめました。


「うん、ちゃんと確認して下サイね」


「私、物無くすサイ能あるから気をつけるね」


サイ後のサイ後まで急所を狙った攻撃にあたふたしてしまいましたが、今回の嫁との対決は引き分けでした。また機会があればサイチャレンジしたいと思います。くだらない話にお付き合い下さいましてありがとうございました。ほな、サイなら。

雑記-パンクを繰り返すほどついてない

食欲があるのは健康の証とよく言います。出されたご飯は一粒残さず、皿に付いた海老チリのソースまで綺麗さっぱり平らげるのがポリシーであり日常という、よく言っても悪く言っても大食漢な私ですが、一時的にさらに食欲が増加することが2パターンあります。


それは風邪の菌が体内に入った時で、この場合は意識的にあらゆる食べ物を体内に取り込むことで何故か風邪が治るという私の体の七不思議の一つです。


そしてもう一つは、疲れてる時ですね。体も心も疲れてる時。この時ばかりは塩分が高いもの糖分が高いもの何でも、とにかく口内への刺激を求めずにはいられなくなります。


先日もそうでした。


直せども直せども、家に着く頃には空気が抜けるタイヤのせいで、休日明けのその日に、会社の往復、自転車屋さんの2往復で、アプリによると、稼いだ歩数は1万歩を超えていました。言っときますが、私の仕事はデスクワーク、一日中パソコンに座りっぱなし、家に帰ってもネットサーフィン、ブログ作成、ネットサーフィンと、トイレするのも面倒がってパソコンにへばりついている私の1日の歩数が1万歩を超えました。


そりゃ疲れます。もう直りましたと2日で3回言われた自転車屋さんへの疑心暗鬼で疲れました。二度も三度も直してくれたうえに、最初の一度しかお金を受け取ってもらえず、その事だけでもなんだか気疲れしました。1番近場の自転車屋は6時に閉まるからと、もう少しだけ離れたところへ計1時間かけて、自転車押して往復したので筋肉痛になりました。いっそのこと捨てて帰ろう。一瞬そう頭をよぎったものの、長年連れ添った相棒を、そんなことで簡単に捨てられるわけはありません。愛が残り少ない体力を絞り出し、自転車屋さんまでの原動力となったおかげで、さすがに3回目にはきちんと直りました。


自転車は良い。仕事で溜まったイライラも、帰りに自転車漕いでるだけで解消されてる気がするし。おかえりと、ボディにハンドルに熱いキッスを交わしたい気持ちはありました。だけれど、今日は雨で乗れませんでしたよっと。

雑記-上りエスカレーターで天井を見上げる

地下から地上に上がる、やや長いエスカレーターでパラパラと帰宅中のサラリーマンが右側をさっさと歩いて登る中で、歩く元気もなく左側に立っていた。何人も右側から私を追い越して行く中で1人、4〜5段ほど空けて私の前にスッと入ったのは女子だった。

 


ショートヘアの、髪を緑に染めたアーティスティックな雰囲気が醸し出すこの女子は、やや短めのスカートを穿いていた。どんな格好をするかは本人の自由。髪を緑に染めるくらいだからファッションにも人並み以上にこだわっているはず。だけども一言言いたい。そんな程よい高さの場所にスカートがあったら、まるで私が盗撮でもしてるようじゃないか。ぼーっと前を見ていては、お尻を眺めていると思われそうで、だからと目線を落としても、(持ってはないしそんな趣味もないが)仕込んだカメラの位置でも確認していると思われそうで、だからと言ってスマホでも手に撮ろうもんなら、右肩を叩かれかねない。だからしょうがなく天井を見上げた。見たくもない薄汚い天井見上げてましたよ。

 


シュークリームのことを考えてました。ホイップクリームとカスタードが半々に入って周りの皮がクッキーのようにサクッとしたパイ生地で、昼の3時とか4時とかの眠たい時間帯にコーヒーと一緒に楽しみたくなるシュークリームを考えていました。隣にある下りのエスカレーターですれ違う人の何人かと目が合いました。そりゃそうでしょう。不自然なほどに首を曲げたくたびれた男がエスカレーターで上へ上へと運ばれていくのですから、よっぽど滑稽だったのでしょう。目が合った人の何人かはつられて同じように天井を見上げていました。


もし上りエスカレーターで上を見上げた男性がいたらきっとそういうことです。

雑記-人はバランスを崩しやすい生き物だから

6時半に起きて朝ごはんを食べてアイコスふかしながらうんこして、顔洗って歯磨いて着替えて弁当のご飯つめて、今日は嫁が布団をあげてくれたからめざましテレビ見ながらほっこりして、時間になったからカバンを持ってアウターを来て立ち上がった。いつもと変わらなかった。なんらいつもと変わらない1日になるはずだった。

 


ルーティンは大切である。特に朝は慎重に過ごすべきであると私は思う。人は案外バランスを崩しやすい生き物だ。わずかにズレた歯車の影響でどうにも調子が出ず、いつもはしないミスを繰り返したり、いつもはハマらないドブにハマったり、地下鉄の通路で出会い頭に肩が触れたガタイのいいサラリーマンに、獲物を狙うトラのような目で睨まれて、薄いガラスなら割れそうなほど大きな舌打ちをされたりと、負のスパイラルに陥る原因となりかねない。バランスの修正は勿論可能だが、毎日時間に追われるような生活をしているなら、それも易しくはないだろう。

 


だから私はいつも早起きをする。歯車が狂わないように慎重に、家を出る1時間前には起きて準備を始める。なぜなら朝のルーティンを大切にしたいから。それが1日の出来に大きく左右する気がするから、ルーティンはなるべく崩さぬようにと心がけている。今日もそうなるはずだったが、いつもと同じように家を出て、自転車にまたがろうとするとどうも様子がおかしい。聞き覚えのない擦れた音がするし、もしや手入れの行き届かぬ、知らない人の安物ボロ自転車とまちがえたかと一旦は手を離しかけたが、見覚えのあるサビかけのボディー、ほとんど新品の時に盛大にコケたために曲がってしまったままの前ブレーキがチャームポイントのこの自転車は紛れもなく私の愛車である。

 


何が違うのか気がつくのにそう時間はかからなかった。パンクだ。後ろタイヤのパンクである。そうかそうか、そうだったか、えへへと笑っている場合ではない。自転車に乗れないとなると、電車かバスか。雨や雪や台風で電車かバスを使うとき、自転車の時よりも15分は早く家を出るから、普段通りを考えたなら遅刻である。始業の時間には余裕があるとは言え、何度も言うように普段と違う流れになるのは嫌なために、本数が多いのは電車だなと判断して駅に急ぎ足で向かった。

 


そういえば、イコカに残高が残っていたのかの記憶が曖昧で、自信もない。そういえば財布にもお札はおろか、ジュースを買うだけの小銭すらなかった記憶がある。これは一大事だと、一度駅を通り越してコンビニへ行き、ATMの前でさあお金を下ろそうと財布を開けた時に、先週お金を下ろしたのをようやく思い出した。そんなこともあるよね、エヘヘと苦笑いしながら手ぶらでコンビニ出るのも申し訳ないし、フリスクだけ買おうとしたら、2つのレジに対して5人は並んでたし、やっぱり手ぶらでコンビニを出て、イコカにチャージしようとしたら、イコカにも十分残高が残っていた。
 

雑記-若者だから階段を使うのか

自転車がパンクしたお陰で地下を走る電車に乗る機会が増えたことは、ダイエット中の身、徒歩での移動距離が増えたことを鑑みたら結果良かったと、片道二百数十円を支払ってウォーキングをしていると思えば逆に運が良かったんだと割り切ることにした。地下を走る電車の、家からの最寄り駅は、電車を降りてから駅を出るまでが果てしなく長い。右へ左へ上へ上へさらに上へと歩を進めて、空を拝めるのに5分は要する。大都会のそれに比べたら屁でもないのだろうけれど、仕事が終わり疲れ果て、癒えを求めて家に向かう道中に出れそうでなかなか出られないのは精神面で良くはない。

 

先日もダンジョンと言えるほどではないにせよ、トルネコの大冒険で言えば地下一階程度の難易度をさっさとクリアするべく、俯き加減で出口に向かっていたところ、ふとエレベータが目に入った。2基、隅にぽつねんと置かれた決して綺麗ではなく大きくもないそれの利用客は思ったよりも多い。いつも常に2〜3人が順番待ちをしているようなイメージがある。


この日も同じく何人かが列を為していたのだが、その最後尾に2人、同僚と思われるサラリーマンが列を作っていた。片方はほとんどが白髪でおそらく50オーバー。もう片方はまだ若い、20代後半から30代前半くらいの若者である。その後ろを通り過ぎる時、50オーバーが若者にかけた言葉が耳に入ってきた。


若者は階段使いなさい。


その後も仲良く並び続けていたところをみると、勿論ジョークである。コミュニケーションの一つであり、そんなことはどうでも良いが、私がどうも引っかかって飲み込めない部分がその内容にある。


若者は階段…これには、若者は元気で体も丈夫なんだから文明の利器なんて使わなくていいだろう。もしくは、若者なんだから贅沢はするんじゃないの、階段で体を鍛えなさいよ、ともとれる。確かに、言わんとすることはわかるし、その通りでもあると思う。だが、よく考えてみると、階段を使うべきは若者でなく、中年のあなたではないか。チラッと見たところ私よりも明らかに膨れたお腹が浮き輪を通り越してトラックのタイヤだ。だから若者に登らせる階段があるなら進んで登るべきはあなただ。


病院でメタボリックシンドローム予備軍だと宣告された私からの提案です。

 

雑記-ブログ開設2年、もうすぐ500記事

明日から2月ということは、明日でこのブログを始めて丸2年ということになる。自分でもよくやってるなと思う。最初の頃、就寝前にパソコンの画面の前でじっくり考え、キーボードを叩くことが多く、一本の記事の完成に2時間を要したこともあったが、今では朝会社に着いてからの十数分間とお昼休みの十数分間、スマホでチャチャっと約30分ほどの間に完成させることがほとんどになった。

 


だからという訳ではないが、多くの記事は思ったことを深く考えもせずに言葉を並べただけで内容は全く無いが、私としたら96歳まで仕事を続けるための礎となる武器になればなという思いがあるから、別にこれでいいのである。その意味を比喩にて言い表すなら、例えば野球選手でいうと、試合前のウォーミングアップ的な意味合い、ではなく、もっともっと前の段階、キャッチボール用に父に買ってもらい野球チームに入るきっかけとなったグローブ的な意味合い、でもなく、もっと前、言葉を喋るようになるよりも前、よちよち歩きの頃に母から与えられたボール的な意味合いがこのブログである。

 


見ての通り例えが非常にわかりやすくスマートになったし、スマホのフリック操作も光の速度を超えた。ことトレーニングという意味では思った以上の成果は上がっている。

 


ゆるキャラブームはすっかり去った。むしろ下火であるにも関わらず、最近でも稀に新ゆるキャラが登場するのはどういうことなのか、雨を降らせる空を部屋の窓から伺いながら考えた。ブームの去った今見られる現状は、ふなっしーくまモンのように定着するものもあれば、ああ、そんなんいたなあと記憶に曖昧なものもいる。一度始めたなやり続けるということは大事だろうけれど、損切りする勇気もそれと同じくらいに必要なことだと思うし、今から二番煎じ三番煎じ、いやもはや五十番煎じくらいだろうか。これからゆるキャラを新しく作って生み出そうという自治体が、地域を盛り上げられるわけがないだろうと思うのだが、何かをやらないと、そんな声が聞こえてきそうでもある。

 


もしかしたら私はこのブログに私の中の時代遅れな自治体を透かして見てるのかもしれない。

 


それと、もうすぐ記事の本数が500本に届こうとしている。いわゆる本数の面では目標だった数字だけにこの先どうしようかとも思ったのだが、今後は気まぐれ更新で、ゆったりしたペースで更新を続けたいと思いますので、これからもよろしく。