立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

シャツが好きなので

ファッションに関しては全くとは言わないが、同年代が使う平均金額の恐らくは半分には遠く及ばないほど興味は薄い。散髪同様、あまりにひどくなければそれでいいという考えである。そりゃあ、良ければ良いにこしたことはないのだが、オシャレだねという言葉がこそばく感じるし、恥ずかしくなるし、居ても立っても居られなくなる。


言いたいのなら直接言わずに影で噂して欲しいと思うし、どんどん噂が噂を呼んで、知らないところでファッションリーダーと呼ばれるのも悪い気はしないのだが、そもそもファッションに気を使わない人間がオシャレと言われるわけがない。


過去を振り返ってもファッション系で褒められたことは、記憶にすらないわけだが(きっと記憶力が残念なだけであると信じて)、それでも実は私はシャツが好きなのだ。Tシャツやポロシャツではなくて、前に付いた5〜6個のボタンで開け閉めできて、襟のついたあのタイプのシャツのことである。


シャツだけは手に取った感触、シルエット、色味、サイズにややルーズなフィット感にと、値札を二の次三の次として決めることが少なくない。しかも買うときはまとめて数着買って、以降数年、半袖を欲する夏以外、秋から春まで着れなくなるまで着続けるのである。


シャツが着れなくなる瞬間は、ファッションにうるさい人達ならば、流行に合わなくなったり、単純に飽きた時が着納めなのだろうが私は違う。


選ぶ段階で既に違う。まずシャツに流行は必要ない。昔から愛された形でシンプルであればあるほど私の中の評価は高くなる。シャツの選定理由はだいたいそんなだし、よって流行や飽きることによる着納めはほとんどない。


したがって、着納めはエリの、首と擦れて夏場でなくとも茶色くなって来るあの部分が摩耗して破れてきたらである。


他の部分が破れる場合についてであるが、普通に着ていればそんな事はまず起こらないと言っておきたい。事実私は皆無だし、例えば肘が破れるのは頬杖ついて物思いに耽りすぎだし、脇がほつれるのは何がどうなってそうなるのか想像に苦しむのだが、サイズが合ってないのに突っ張る脇部分を無視して腕をグルングルン回しているとしか思えない。


だが襟の部分はどうだろう。ひどく落ち込んで肩を落とした時以外、だいたい接触しているし、必然的に生地が消耗し破れるのは避けられない。なのでどう考えても最初にほつれる部分と考えて間違いはなさそうだ。


今年の夏前にお気に入りだった、8年程前に買ったシャツを上記の理由で手放さざるを得なくなった。雨の日も風の日も、小脇にパソコン抱え、2時間満員電車に立ったまま揺られ、右手でチケットを持っていられないほどプルプルし、改札抜けた時に充電器がないことに絶望したあの日も一緒だったシャツに別れを告げた。しかも一挙3着、全部理由は同じである。


と言う訳で秋に着る服を探さないといけないので(できればボタンダウンを)、今夜は宴もたけなわですがおいとまします。それでは。