立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

夏はまだまだ先のようである

BBQに祭りに海水浴に。大人が童心に戻る季節と言えば、それは夏である。正直私は夏が苦手だし、北陸育ちで、自転車あれば5分で海というところで育ったのだが、小学生だか中学生の時に海に入った後、全身に発疹が出て痒くなった経験をして以来、海水浴が苦手になった。


コーラ飲みながら花火見て、トイレに行こうとするも長蛇の列で、小だけならまだしも、夜の冷えとコーラにヤられて、パンツの中で花火が打ち上がる寸前だったことがあり、花火は間近で見るもんじゃない、遠くから嗜むくらいがちょうどいいと、わびさびを悟った顔して大人のフリしていたのも確かその頃、思春期の夏だった。


私が夏の思い出語るとそんなもんで、女子と初めてデートしたり手を繋いだり告白したりという、溶けたチョコレートよりも甘い香りのするお話はほとんどない。それどころか、煎り過ぎた豆のコーヒーのような苦味のある思い出ばかりで、夏を嫌う理由は他にあるのだが、トラウマばかりでなく、ヒマワリさえ照れて俯く思い出の一つでもあれば、きっと夏が苦手なんて言ってはいない。


その程度で覆るレベルなので、苦手苦手と言っているだけで、本当はそこまでなのでは、嫌でも積み重なる歳がフィルターとなり、少しずつ少しずつ苦手が漉されているのではと、最近になってそう思うのである。


もしかするとそれはただ表面的なもので、甘酸っぱい思い出への憧れやジェラシーからくる、子供が好きな子虐めるアレと同じなのではと、いい中年になり、そんな事に気付いてしまった。いずれにしろ、私の夏はまだまだ先のようである。


金曜夜の、つまりは予定が入らなかった少しだけ悲しい更新なので、涙が出ちゃう前に今夜はこれにて失礼します。それでは。

 

30代半ば、取り柄

30過ぎて早4年、ぼちぼち30代の折り返し地点に差し掛かろうとしているし、運動部だったのははるか昔、最後に全力疾走したことなんていつのことだったか記憶にすらないと言うのに、取り柄聞かれて思わず運動神経が結構ある、なんて言ってしまうのはいかがなものだろうか。確かに若い頃はそこそこやれた。私の学生時代唯一、本当に唯一誇れる事、それはサッカー推薦が来たことなのだが、それももう20年近く前の事にはなる。


例えば日々トレーニング続けて、さらにとうに体力の限界は超えていても、ゼーゼー言いながら次の電柱まで次の電柱までと己追い込むくらいストイックだったなら、例え老いたとしてもまだ運動神経について語る資格がある。すでに胸を張れるほど純粋無垢な中年にもなり、たっぷりとお腹にお肉を溜め込んだ男が、運動に自信アリなんて言葉を発している所を20代や10代が見ていたとしたら、ただの痛々しくかわいそうなお父さんである。


私くらいの年齢ともなると、取り柄や誇れるものを一つや二つくらいは持っているものなのだろうか。今までは運動神経で押し通せたが、今度からバーでかわいい女子が隣になった時には何を武器に戦えばいいのだろう。運動は前述した通り賞味期限切れで、お金もないし仕事で何かを成し遂げたこともない。優しさや愛なんて目に見えないものは宇宙に存在するとされるダークマターと一緒で容易に扱える武器ではない。無難に風邪をひかぬ丈夫な身体と言ったところで、お腹のお肉が説得力を著しく低下させていて、そもそもそんなことにときめく女子もいないだろうし無難でもないだろうし。


さてさてどうしたもんかと悩みに悩んで出た答えが歯であった。この歳で銀歯皆無の全部揃った歯は珍しいだろうと少しは自慢をしたくもなるのだが、どうだろうか。歯フェチもしくは歯女子、聞いたこともないし今後聞くこともなさそうで、歯に食いつく女子がいるとしてもそれはほとんど肉食獣の類ではなかろうか。そもそも食いつかれるより食いつく方が正しい歯の使い方であることは間違いないので、今夜も歯を磨いて布団に歯いるといたします。それで歯。

少し切ない夜よ

寝る前に天気予報をチェックして、起きてすぐにまたチェックして、家出る前にもまたまたチェックして、どうしてそんなに天気を気にするのと問われれば、通勤がチャリだからだよコノヤローと言いたくなるのです。


だいたいの自転車には屋根はついていませんから雨が天敵なのは言わずもがなですし、点滴くらいポタリ、ポタリと落ちて来る雨なら問題無し、イイヤッフーッとチャリに跨るのですが、最近は梅雨に加えて台風の影響からくる大雨に敏感になっているのです。


カッパ着ればいいじゃないかとよく言われるのですが(この前ポリスさんにも言われた)、冬ならまだしも、夏にカッパ着て片道30分も自転車漕ぐと、ご察しの通り雨に濡れるのと変わらんくらい、真冬にでさえ半袖着てそうなマッスルを鍛えに鍛え上げた外国人が二度見するくらいビチョビチョになるんです。


電車かバスで行けよとよく言われるのですが、乗り換えやら徒歩やら待ち時間を考えると、自転車の倍くらいはかかる計算になりまして、その分起きる時間を早めるか、朝ご飯を諦めるか、はたまた大きいのを我慢するか、どれも毎朝のルーティンに欠かせない、削りたくない選択肢に起きて早々頭を悩ますのは心身共に良くはないので、優柔不満もあいまって、それならチャリで、となってしまうわけです。


なので多少の雨なら1択なのですが、最近の土砂降りで、今日はダメか今日は無理かと、おろおろしながらも、それでも雲の切れ間見つけてどうにか自転車通勤を続けているわけです。


雨の日には当然滑るということを頭に叩き込んで慎重に運転すべきなのですが、電動自転車でカッパきたお母様が、私だけでなく歩行者ですらも巻き込まんとする勢いで角からノンブレーキで不意に突っ込んで来まして、それ避けようとしてハンドルがつるんとなって、ダルんっと踏み外したペダルが勢いで1回転して脛にゴキっとなって、右に左にハンドル切って何とかバランス立て直したけれど、周りの女子に失笑くらうし、飛び出して来たお母さんは我関せずで見向きもせずですし。


家帰ったら脛に血の滲む青アザが出来ていて、心身ともに大きな怪我をするのが私だけというのが少し不公平だなと感じた梅雨の季節の儚い一場面でした。


何だか怪我が疼くので、今夜はユーミンの歌の歌詞にある、優しさに包まれたならと何度も口ずさみながら寝ようと思います。

 

年始に立てた目標

つい先日年が明けたところだと思っていた。年が明ける直前にスーパーで400円する衣ばかりが分厚くて本当にエビが入っているのかすら怪しかったエビ天と、どん兵衛を買って年越し準備をしていたことが昨日のことのように思い出される。


そういえば年明け早々、目標を立てていた。おおざっぱにダイエット、仕事、家事、遊び、ブログをがんばるだったかと思うのだが、今のところどれ一つも振り切ってうまくいっているものはないが、ブログはこのブログ、始めたのが2月とやや遅れ気味ではあるが、始める時に決めたノルマはほぼ達成しているし及第点。家事に関してははっきり言ってずいぶんと手は抜いているが、嫁に怒られていないことを鑑みると、まあ、こちらも及第点だろうか。仕事は多く語れることは特になしだが、食いっぱぐれていないだけで、まあ良しとしたい。なぜ遊びを目標としたかはすっかり頭から抜け落ちているのでパス、問題はダイエットなのだが、体重減らすどころか、履けないズボンを増やしている現状、精一杯のひいき目で見ても合格とは程遠い。結果、非常に残念ではあるが、ここまでトータル100点満点中、赤点ギリギリの40点なわけだが、あれよあれよと時は流れてすでに今は夏である。あと半年、あと半年で一体何ができるだろうか。


ストイックな映画俳優のように1ヶ月で10キロ落とすか、寝る間を惜しんで仕事して来年の食いぶちまで溜めてしまうか、はたまた遊びに本気だして夏の思い出量産しようか本気で悩んでいるのである。


かき氷にかけるシロップのような甘くトロトロな時間を過ごすためには、すぐに行動に移すのが吉、と年始のおみくじで引けていたならもしかしたら今頃…とトロトロな脳みそで妄想している時点でアウトなのだが、台風が近づいているためにダイエットのためのジョギングはダメ、昨日溜まっていることに気づいてしまった洗濯も雨でダメ、ならば遊びにと思ったがやることやってない私に目を光らせる嫁が隣にいるのでこれもダメ。仕事に少しはつながると信じて続けているブログしかないところをみると、残り半年もきっとこのペースなのだろうと思った少し寂しい火曜日も、夜がだんだんと更けてきたので、この辺りで失礼いたします。それでは。

時代遅れの変わらないで欲しい定食屋

簡単に言うと不味く、曖昧に言うと一癖も二癖もある鯖の味噌煮を食べている時の、BGMで流れた演歌が胸にしみ、少しだけ涙がこぼれそうになった。


味 2、清潔さ 2、居心地 5。


仲がいいとか悪いとか、そんな次元は遠の昔に置いて来まして、話をせずとも目を見ればわかるんですよと、そんな雰囲気を醸し出す、老と言っては失礼にあたるかもしれない夫婦が営んでいる昔ながらの定食屋は、昼時に見ても客が1人か2人、最も多い時でも4人くらいで、そこまで大きなお店ではないのに広々と感じる、私にとってかけがえのない食事処である。


食べ終わってマンガを読んでても出て行けとは言われないし、1人の時に携帯でしばらく話をしていても嫌な顔をされず、だけども何故か禁煙なのは、たまに演歌と演歌の間に挟まるさだまさしくらいの意外性である。


厨房よりの壁に掛けられたカレンダーに目をやると、ポツリポツリと予定が書かれている。4日休み、11日休み、14日娘夜、18日休み、25日休み、29日昼息子、孫と。週一休みで娘、息子、孫との予定が一目でわかるカレンダーはこちらのご夫婦にとっては力の源、生きる活力、仕事するためのガソリンに違いない。


職場に私的なもの持ち込むんじゃないよ! ここは戦場だ、ガキや女が気安く踏み込んでいい場所じゃないんだよ! と、大友康平ばりの下っ腹にズッシリ響く低音で、昔の職人気質な旦那さんならきっと奥さんを怒鳴り罵っただろうカレンダーが、プロ意識という点では欠けていると言わざるを得ないのだが、私には微笑ましく、そして羨ましくも写った。


20年前と今で変わった事ってなんですか?


変わった事、、家族が増えた事くらいですかねぇ、目を細めながら答えるお父さんを想像して、いつまでも末長くと毎度心から願うのであるが、鯖味噌定食850円のお会計で、毎回必ず900円を要求され、聞き返すと訂正するのはどうしてなのか、ならもう900円にしちゃいなよと、言葉にできずモヤモヤしたまま帰路に着くのだが、きっとまた来るんだろうなあ。


味の旨さや見た目の良さだけじゃなく守りたいお店はたくさんあるし、やっぱり人柄が最も大切なのではと思った休日昼下がりでした。それでは。

 

きっとキャパオーバーである

今の京都は観光客が増え過ぎできっとキャパオーバーなのではないかと思うのである。森山直太朗さんの歌詞を借りれば、どこもかしこも駐車場ならぬどこもかしこもゲストハウスである。今現在京都に住んでいるとは言え、出身は小京都と呼ばれる金沢のある石川で、なぜにわざわざやってきたのと言われても仕方はないし、京都の人口を増やしている一人ではあるのだが、少しばかり言わせて欲しい。宿を少しでも増やそうとあの手この手でなんとかしようとしているのだろうが、観光名所付近の交通機関ももう少しどうにかならないかと思うのである。


車を持たず、基本は自転車もしくは公共の乗り物に頼っているのだが、公共の乗り物、特にバスで観光客と鉢合わせると、つり革確保もままならず、頼れるものは衰え弱っている自分の足腰だけで、前後左右に揺られながら不意のブレーキに耐えに耐え、パソコン入ったトートバックを左手に持ち替えることもままならず、息も絶え絶え汗だくだくでようやくようやく目的地。降りるのも一苦労で、私にとっては最も精神的に辛いのだが、言葉がわからぬ団体さんの間を、蚊の泣くようなすいません、ソーリー、エクスキューズミーで、運転手さんの干し芋ができあがりそうな乾いた、降りる人いますか? の問いかけに精一杯の上ずったおりまーすでようやっとゴールである。降りた時の疲労感、特に右腕の痺れ具合はこれから乗る自転車に不安を感じるレベルで、公共の乗り物に乗る正しい方法がわからない。決して旅行客のせいと言いたいわけではない、わけではないが、どうにかならないかと説に願うのである。


昔、旅行シーズンは飛行機の金額が大きく上がるから帰省できないという事を沖縄出身の人に聞いたことがある。故郷に好きな時に帰れないのはいかがなものかと、若さもありその人と共に嘆いたのではあるが、大きな組織に立ち向かう術と勇気と根性が足りない私にできることは何もないと早々と沖縄にもつながっている天を仰いだ記憶がある。


当事者にならないと本当の痛みはわからないもので、生活に必要な手段が旅行者などに奪われているケースは恐らくはよくあるのだろうと思うし、いかがだろうか。1時間に1本でいいので、住んでいる人専用車両を設けてみてはいかがだろう。わかっている、わかっています、考え浅はか、言うは易し行うは難しであることは。ただ弱者を守る社会であれば少しくらいは考える余地はあるのではと思った次第で、ひとりよがりの独り言である。予想通り、右腕に筋肉痛の予兆があるので、もっと軽いパソコンを探しながら眠ろうと思います。それでは。

天気と恋の行方

梅雨に入り雨が気になる季節になったが、ここの所うまい具合に雨を避けている。予報は雨でも車の中や電車で降られ、外に出ると嘘だったかのように雨が上がるということがここ数日間続いている。とある人に日頃の行いがええんやでと言われて私も悪い気はせず、ありやっす! と元気よく返事したのだが、なぜに日頃の行いで天気が決まるのだろうか。


ポイ捨てはしないし、灰皿がある場所でしか喫煙はしない、立ち小便なんてもってのほかで、野糞するくらいならオムツを履くし、コンビニでおつりもらって募金箱に入れることも少なくない。もしも、本当に日頃の行いで決まるのならば、毎日とは言わずとも29日くらいは雲一つない晴天のはずである。そもそも雨が気になり、傘どうしようかと玄関を出たり入ったりを繰り返す梅雨の天気が日頃の行いで決まってしまうのであれば、北海道を除くほとんどの人たちが悪い行いをしていることになるし、数ヶ月前、レンタカーを借りた時に限って猛吹雪だったのは、昔コンビニでバイトしていた時に、瓶ビールを落として割り、なけなしの金で弁償し、ビショビショのビール臭いパンツのまま深夜の勤務を一人で乗り切ったことで償ったと思っていたのだが、落として底が凹んだ缶コーヒーを見て見ぬ振りして陳列してしまったのが悪かったのだろうか。


もしかすると、そのコーヒーを買っていったのがプロポーズ前のイカした男子で、凹んだ底でバランスが取れないコーヒーが倒れてこぼれ、運悪くそれが彼女のためにしたためた渾身のラブソング十数曲が保存してあったパソコンだったとしたら、浜辺の夕日をバックに歌うはずだったのに、歌詞が出てこずギターのコードもままならずで、変にギャラリーができて失笑をくらい、彼女に思いを伝えるどころかあなた重いと言われ、それが原因で作れるはずであった幸せな家庭を作り損ねていたとしたらと思うと、今だに忘れることができない猛吹雪にも納得がいく。


軽く心が痛んだところで素敵な短歌が浮かんだので本日はこれにて失礼したいと思います。


コーヒーの 底の凹みを気にすれば 彼も私も もうフられまい もうフられまい〜


それでは。