立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

サービスと優しさ

凄いと思うし私には無理だなとも思う。初対面の人に自分の話しとかあんまりできない。そもそもトーク下手だし楽しませるなんて事はまずできないし、できる人が羨ましいなと思ったり、それこそタクシーの運転手さんは、知らない人と狭い空間で、人によってはお客さんを楽しませて、本当に偉いなとも思う。


先日も、約10分ほどタクシーに乗る機会があり、基本的にはこちらから話しかけることはないので、行き先を告げた後、あちらが発するまでは沈黙の時間なのだが、そのタクシーはその時間がほぼゼロで、発車して一言目が、


お客さん、若いからお肉好きですよね?


である。若いからってお肉好きとは限らないし、そんなに若くもない。なかなかの人だなと思いながらも、少しばかりトークの入り方について考えた。得意なジャンルに話し相手を引きずり込むやや強引ではあるが、ペースを掴んでおくための思い切った手法、言わば先手必勝である。


ええ、まあ、


と返すや否や予想通り、堰を切ったように肉の話しである。どこぞのハンバーグはあーだとか、熟成肉がうまいのはどこどこだとか、こっちはあーとかうーとかあからさまに気の無い返事をしていたのだが、そんなのお構いなしの何処吹く風である。しかし、肉の話ばっかりよくもそんなに出てくるな、いっその事肉屋にでも、と口にしかけたそのタイミングで、


お客さん実はね、私この仕事の前は肉の卸の会社にいたんですわ。


この言葉を聞いた時、懐かしいような感覚におちいった。言おうとしたことを先回りして言われたからか、いや違う。これがトーク力と言うものだろう、一見、無闇矢鱈にあれやこれやと肉のうんちくを述べていたのは客をその世界に引き込む、一種の催眠術のようなものだったのだろう。まんまとその狙いにハマってしまい、プロは凄いなと感心しながら、次の話に耳を傾けた。


〇〇って店あるでしょ、あそこの肉はただでさえ高いのに、正月に出す肉って一際高いのはご存知ですか? あれはね…、


京都で誰もが聞いたことのある老舗のすき焼き屋の話を始めたときに、不思議な感覚を覚えた本当の理由と、正月の肉が高い理由がハッキリとわかった。


(長期に渡って肉を寝かし、カビだらけにする。そのカビ周りが非常に美味で、だけどもカビは落とさないといけないのでどうしても食べる分が少なくなってしまう。)


運転手の話を聞く前に答えが見えてしまったのは、デジャブでも予知夢でも鋭い感なんかでも無く、この運転手、2度目である。


ね、凄いでしょと微笑み鏡越しに見てくる運転手に私は、それ聞いたことあるわ、それもあなたからだわとは言えるわけもなく、面白いですねと目を細めて愛想笑いを返すのが精一杯であった。


楽しんでもらおうと一生懸命話をしてくれる人にはお金関係なく、それに応えるベキだと思うのだが、タクシーで2度同じ話を同じ運転手から聞かされるとは思わなかったし、2度ある事は3度あるっていうし、もしも3度目があったなら、肉の話始める前に3度目ですねと勇気を出して言おうと思う。多分本当に優しいのはこの選択だろう。


憎らしいほど肉を食べたくなってきたけど、時間が時間なので、苦肉の策の魚肉ソーセージを食べて眠ろうと思います。それでは。

秋近し、小脇に抱えた魔と共に

気を抜けば遥か彼方のあの子の元まで飛んで行ってもおかしくはない。日は気持ち早く暮れるようになったし、クーラーはもうほとんど使ってない。朝の自転車出勤では、風が吹くと冷たい感覚が肌から伝わり、アイロンさえかけてあれば長袖カッターシャツでもいいのではないかとも思う。アイロンさえかけてあれば。


いよいよ夏が終わり秋が来るってのに浮かれ気分で夜更かしするどころか、日が変わる2時間前には産まれたての子猫程の力しか入らない。一旦冷たい水を一気飲みし、少しはマシになった眠気を窓の近くにとりあえずは置いといて、しばらくそこで待ってるんだと、甘くだけども厳しさの含まれた言葉でステイさせ、さてやるかと背筋を必要以上にピンッと伸ばしていれたのも、ものの20分足らず。疲れたわけじゃない、力が抜けるのである。


こんな日は明日につなげることを考えるのが一番だと、都合の悪い時だけポジティブな自分が言っていたので、いつの間にか脇にスタンバイしている眠気を抱えて就寝準備。


だからと言って、さっさと布団に入れば万事解決、とはまるでならず、ふと目が覚めてまだ5時で、ラッキーまだ寝れるわと目をつむった瞬間、6時半の目覚ましである。まるまる8時間。よー寝たわ、そう呟きながら起きたのは、脳にそう錯覚させるための戦略で、本当ならば眠るための余力を十分に残した上での起床である。


ああ眠い。


毎年、冬から春への切り替わりと、夏から秋への切り替わりは、こんなだった気がするが、それでもこんなにもダルさと眠さに勝てないものだったのだろうか。そのせいにはしたくはないが、老いだろうか。


徒然なるままにキーボードを叩いてはいるが、本日も意識が日本海沖くらいまで飛んでいるのは、色っぽい50歳が腰から砕ける洒落た言い回しや、桃の種が綺麗に真っ二つになるほどの切れたギャグが自然に飛び出さないところを見れば、察することにすらも値しない。吉田兼好は何を思って徒然なるままに筆を走らせたのだろうか。少なくとも今の私は今日も早く寝たいよう、である。


上述した通りなので、何も語らず、何も欲さず、ただただ目を瞑ることに徹しようと思います。それでは。

強気と弱気と後悔

それがいいのか悪いのかはわからないが、別にポジティブではなく、どちらかと言えばネガティブな方だし、前を見据えているからというわけでもないのだが、普段は過去を振り返ってやり直したいと思っても後悔するようなことはほとんどない。だからこのブログのように一旦世に晒してしまったものもあまり見直したり、誤字脱字以外で書き直したりということはないのではある。


夜9時になる前にちょっとだけよと目を瞑ると、気がつけば朝3時半だった。


シャワーで寝汗を流して途中だった映画の残りを見ても尚、時計の針は4時を少し回ったところ。十分な睡眠時間の確保はできていたが、このまま起き続けていると昼飯を食べた後に必ず睡魔がノコノコやってきて、笑点もしくはまる子ちゃんあたりまで連れて行かれるのは火を見るよりも明らか。


悪魔退治はしておかないとと、とりあえずはベッドに入って二度寝するつもりで睡魔を呼び込もうと携帯をいじっていた。有名人のブログや少し偉い人のコラム、難しい内容のエッセイを読み漁り、それでも眠れる気がせず、そうだそうだ、こんな時のためにあるようなもんだと、このブログを開いていくつか読んでみた。


だいたいがこんなこと書いてたっけと思うことが多いのだが、特に最近は弱気な部分がちらついているように感じた。


何を弱気になる必用があるのか、弱気になっていい事なんて一つもない。常に強気でいいじゃないか。


早朝に尿意をもようして目が覚めた時、5時以前か以降かでトイレに行くか行かぬか決めてはいたが、その時間を4時に繰り上げたり、賞味期限が2日ほど切れた納豆を嫁に黙って出してみたり。強気で事を進めていけば迷いはなくなるのではなかろうか。


そうだそうだよ強気でいいんですよ、睡魔なんかに恐れないでいいんですよと、起き上がって洗濯回して、夜食べようと凍らしてあったハヤシライスを朝から食べて、ユーチューブみて洗濯干して、Tポイントのおかげで無料で買えた針金ドリッパーでコーヒー淹れて漫画読みながら、なんて優雅な休日だろうと思ったところまでは覚えているが、気づけばサザエさん


こんなことなら朝ちゃんと寝ておけばと、半日を棒に振った後悔の波に飲み込まれたのは言うまでもない。


思いつきで慣れないことはするもんじゃないと反省したので、今夜は鼻セレブ洗顔後の顔を拭いてゆっくり眠るとします。それでは。

別に保険を推しているわけではないが

起こってしまったことは仕方がないが、時間を巻き戻せるなら巻き戻したい。生きていればそんな瞬間の一つや二つや三つくらい経験するものである。予期せぬ自体に備えて入っておくのが保険であるが、入らねば入らねばと思いつつ、本当に入っておいた方がいいのかどうか首を傾げてしまう部分があるから一歩を踏み出せないでいる。


通常放送のワンピースが思ったよりもずっと感動的で、先週だったか先々週だったかの亀仙人のじっちゃんの話のドラゴンボールで涙して以来、流してなかった涙を少しだけ流した後、悲しみの空気でいっぱいになったお部屋を飛び出し、焼きそばパンを求めて自転車で近くのパン屋へ向かった。


大通りへ出る直前に前を歩いていたおばさんを横から抜こうとしたとき、突然くしゃみがしたくなり、普通であればハックショイとするところであったが、空気を大きく吸い込んだ瞬間道の凹みにタイヤをとられ、くしゃみが中途半端に止まり、代わりに枝豆が思ったより勢いよくピュッとのどちんこを直撃した時のようなバッガッという大きな声を発してしまった。おばさんも私の声に大変驚き半分よろけていたのは申し訳なく思ったし、恥ずかしかったのだが、恐らくそれとほぼ同時に私のお尻の穴からは割と大きめのおならが噴出されている。


恐らくというのは、私は自分の声で周りの音が聞き取れなかったし、恐らくとしか言えないのであるが、あの感触はきっとほぼ間違いはない。経験上そこそこの音が鳴っているし、よろけたおばさんに聞こえているに違いない。いろんなことが重なり合ってパニックだったのでその場を逃げるように走り去り、パン屋に逃げ込んだ。目的の焼きそばパンをキープして、他のパンを見るフリをしながら息を整え、さてレジをと思った時にさっきのおばさんが店に入って来た。


おいおい嘘だろ信じられん、神はいくつの試練を私にと思いながら、目を合わせぬように再び逃げるようにレジをして店を後にした。常連さんらしく店員さんと話していたし、私が帰った後、きっと私のことを変なくしゃみのおなら野郎と笑い話にしているだろうし、むしろ笑い話に変えてくれていたら少しは救われた気分にはなるが、もうあのパン屋には行けないなと落ち込みながら、おいしいけれどいつもより少しだけしょっぱい焼きそばパンを食べた。


もしもおならのための保険があるならすぐに入りたい。年々いうことがきかなくなってきているケツの穴に掛けられる保険があるなら今すぐ入りたいものである。掛け捨てで月々3000円でいいからどうかおなら保険に入らせて欲しいのだが、そんなに気になるならまず医者に行けよと隣の嫁が言うので、お言葉に甘えて脳外科から心療内科をハシゴしてみようと思います。それでは。

 

大切なルーティン

起きて仕事行ってDVDを見ながら眠って起きて仕事行ってを繰り返し、萎れた花より萎んだ生活を送っていて、だからかどうかは分からないが、うまくリフレッシュができずにさてやるかと奮起できずに、ただただだらしない生活が続いている。気づいた時に面倒がらずに少しずつでも行動すれば平凡な生活は送れているはずなのだが、わかってはいるが行動に移せないのが私のような面倒くさがりの特徴であることは言わずもがな。


いよいよツケが回って来た。


こんなに食器持ってたっけと嫁と見合わせるほどシンクに溜まりに溜まった洗い物と、洗濯機のタンクだけでは事足りず、大きめの無印の洗濯カゴがあと3杯は必用と推測されるジェンガの如くしかもバランス悪く、天井に届かんとする勢いで積まれた洗濯物が、DVD か睡眠か、はたまた食事かシャワーかクソの時間を削れ削れと無言の圧をかけてくる。


希望は仕事の時間を半分くらいにしたいのだが、それは口座の残高見れば不可。不可の中でもだいぶ下の方の不可、向こう5年間ふかふかの布団で眠ってはいけない程に不可である。


時間は誰にも平等で、みんなやってる事だしと重い腰をあげようとはするのだが、職人憧れの強い私は、毎日のルーティンを崩すのを極端に嫌うのではあるが、止むを得ず崩すのならばせめて最小限にをテーマに1日のルーティンを組み直す決意をした。


起床、飯、仕事、飯+DVD、就寝。1日の行動パターンは割とシンプルである。とりあえずこれらを時間の横軸と共にメモに起こし、洗濯、食洗をねじ込める隙間はなくはない。DVDの時間を3分の1にする、睡眠時間を20分減らす、DVDが終わってから寝るまでにだらだらする1時間を減らす…どう考えても答えは出ているし、こんな大げさにしなくともだらだらをなくしてこの話はおしまいなのだが、無駄な時間ほど大切にしたいんだ、日々の活力につながるんだと、自分に力説するがただ怠けたいための理由が好調なので、多分休みが来るまでこのままなのだなとも思うのである。


明日、その休みである。夏休みはあったけれどそれでも何だか疲れがぜんっぜん抜けず、病気を疑うほどになったがために、明日の夜の焼き鳥に合わせて一日休みをとってやった。休みはとりやすいし、そこはいい部分だとは思うのだが、今日は朝から仕事が山積みである。定時に帰宅するのをモットーにしているのを知ってか知らずか、時間の5分前にもあれもこれもとぐいぐい仕事を押し付けれれて、もう帰りますよ、(小指立てて)これが(両手の人差し指を角に見立てて)これで、なんてお茶目にふんわり断ろうとしたのだが、君しかできないから頼むよと言われ、気づけばその気になっていた。


君しかできない、なんといい響きだろうか。たかがそんな言葉でその気になるのはバカか単純かお人好しなだけかはわからないが、まあまあなにはともあれ無事に終わったし、結果オーライと言ったところだろうが、考えてみれば今の部署にきて4ヶ月の私しかできない仕事なんてまずないし、やっぱりバカで単純なんだろうと気づけただけでも収穫あり、成長した一日だったと思いたい。


明日は朝から溜まった家事に時間をとられそうだし、今日はゆっくり惰眠をむさぼるとします。それでは。

少し疲れたのでオシャレにお洒落を語る

詰まる所、お洒落は感性が合わなければただの無駄なものということになる。見る人、身につける人によってゴミにすらなり得るところがファッションの面白いのだとは思うし、要はゴミとお洒落は紙一重であると言いたい。


お洒落女子が目の色変えて飛びつく最先端のファッションは正直なところ何がいいのか理解するのに時間はかかるし、そもそも時間はかけたくないので理解しないし、似たような格好した子を数人見れば、多分自分の中で消化しきれないこともあって流行物が嫌になる。もしも、誰もが口を揃えてかわいいという女子に、鬼の口元すら緩ませそうな満面の笑みで、


これ可愛いでしょ!


と言われたなら、そこは親指立てて星が舞う程のウインクはする。するのはするのだが、夏でもファーをつける気持ちは全く分からない。だって夏だし汗かいてるときは触りたくもないし。


例えば自販機で、渇ききった心と身体に少しでも潤いをと、1秒でも早くと焦る想いがどうもうまく伝わらず、入れても入れても返ってくる100円玉との格闘中、腕にファーがふわっとくっついてきたとしたら、地面を割るレベルの力で叩きつけてしまう。


ファッションに無駄はいらない、かなり昔、中学校の時の先輩にそう教えられたような気はするのだが、時代は変わったのだろう。お洒落するのも大変である。


兎にも角にも好きであること。これはお洒落に限らず全てを楽しむのに最も大切なことだが、かつてのバイト仲間のT君は、冬でも短パンを履くほど短いパンツにこだわりがあり、それもや白や赤といった明るい色を好んで履いていた。


夏が近づくと、彼のパンツは日に日に短くなり、夏を過ぎる頃にはあぐらをかくと彼の大切なボールがチラリするほどになっていた。明らかにK点を超えた短さの真新しいオレンジの短パンを履いた彼は、


これ、いいでしょ!


と、小指ぶつけた後でも笑顔にしてしまいそうな満面の笑みで問うてきた。私は目を閉じて親指を下に向けるのが精一杯であった。


もし宝クジが当たったら無駄にたくさんの時計を着けたいと思います。それでは。

頭痛の種

歩道によくある名称がよくわからない草木が生えたエリアのすぐ横で、細身で背の高い推定70歳のおじいさんが上半身を柳のようにゆらゆら、両手を上下左右に流水のように滑らかに動かしていた。夏、高齢、予測出来ない動作は普通であれば熱中症や危険な急病を疑って仕方ないのだが、意識しての動作で明らかにそれとは違い、何かはよくわからないが美しい動きにふと時が経つの(信号待ち)を忘れて見とれていた。


太極拳ではないにしろ、武術的な何かだろうと眺めていると、今までの風が丸い柱を撫でるように避けていくような柔らかい動きからは一転、勢いよく両手をバチンと合わせ、どうしたと思う暇なくもう一度バチン。その後何かを払う仕草で、付きまとう蚊の退治だったと察するに時間は必要なかった。


閑話休題


私にとって頭痛は別に珍しいことではない。よく効く薬は常備してあるのでそこまで焦る必要もないのだが、朝起きてすぐに頭にズンとした重みと鋭い痛みを感じたのは、久しぶりである。昨晩お酒は飲んでいないし、もちろん頭からボーリングのピンに突っ込んだ記憶もない。だからこそ一抹の不安が痛い頭をよぎるが、仕事を休むほどでもないのでとりあえずは薬を飲んで様子見である。


ここの所、撮りためたドラマやDVDのせいで夜更かしすることが増えたり、付けっ放しのクーラーが寒くて明け方に目が覚めたり、時間が足りないため牛丼屋でささっと済ませる機会が増えた。気づかぬふりをしてできるだけ受け流すようにしている仕事や対人関係からのストレスも積もり積もれば、そこそこのダメージとして蓄積されているだろう。


歳をとったと言えるほど老いてはいないが決して若くはない。日々のダメージに回復が追いつかず、気づいた時にはベッドの上なんてことも無くはない。弱い部分に現れると聞いたことがあるし、私の頭はいろんな意味で弱いし、要注意の部位ではある。


そろそろいろんなことを考えねばと思えば思うほど、楽しい事からどんどん遠ざかる気がするし、ストレス解消もできなくなる気がするし、体調不良になると嫁がやけに優しくなるのは嬉しいけれど、恐らく昨日10時間睡眠のせいで頭が痛いだけと言いだせずにいることが、今の頭痛の種である。


今週末には焼き鳥が待っているので、しっかり体調整えるため、今夜はノーパン健康法を試そうと思います。それでは。