立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

年末に気をつけたいワシやワシや詐欺

おう、ワシやワシ。ナカマツリや、中くらいの祭りと書いて中祭や。われ、ワシのこと知らんのか。だれに断って店出しとんねん、ほんま! なんやバイトかいな。店長出してくれや。中祭言うたらわかるよってに。さっさと店長出せや。ワシは気が短こうて有名なんや。おう、そうや、真ん中の中に祭日の祭と書いて中祭や。頼むでホンマ。


おう、店長、ワシや中祭や。京都で最も恐れられた3人組の1人、中祭や。なんや、店長はん、あんたもこの業界おったら聞いたことくらいはあるやろ。最も恐れられた3人組のもう1人、大きな祭とかいてダイマツリは、あんたのおとんの別名や。初耳? そうかそうか、なら教えてやんで。あんたがハイハイしてた時、大祭のヤロウ、息子が泣き止まん言うてからに、泣いてわしに子守を頼みに来てたんや。ワシからしてみりゃどっちが泣き止んでへんのかわからへんかったけどな、ガハハハ。


ほら、大祭はな、カタギになって始めたテディベア専門店が売れて売れて大変やったよってに、ようワシに子守頼む言うて来よって、せやさかいワシ、自分のベビーシッターやったんやで、ほんま。育ての親言うやつやな。かまへんで、父ちゃん言うても、ガハハハ。


ほんでこっからが本題や。今度な、今度言うても次の木曜や。最も恐れられた3人組の最後の1人の、小さい祭りと書いてコマツリが20年ぶりにシャバに復帰や言うてな。当時は揃って祇園先斗町を歩けば血の海ができる言うて恐れられた、SML3人合わせてスリーサイ(祭)ズが久しぶりに結成いうこっちゃ。ほんなら、久しぶりにうまい酒でもどうやっちゅうのが青春時代を共にした男っちゅうもんやろ。


ほんでな、一つ頼みがあって電話したんや。今週の木曜ちゅうたら年末でどこもいっぱいなんや。ワレの店なかなかうまい酒飲ませるっちゅう評判やんか。せやさかい使わせてっちゅう要件や。どや、あかんか。貸切やなくてもかまへんで。ワシらも歳とって昔ほどようけ飲めへんくなったよってに、隅っこに席用意してくれたらそれでええ。あかん? 満席であかんちゅうことかいな。そこをなんとかいうことで、こうやって頭下げて頼んどるんやないけ。スリーサイ(祭)ズなめたらあかんで、ほんまに! 年末やからってワシら、おせちのように甘くないで、ほんまに!


よーし、わかった、店がどうなってもええっちゅうこっちゃな。誰に断って店出しとんねん、いう話やでほんま。商売できんようになりたなかったら、次の口座に100万振り込めっちゅうねん! それで勘弁したるさかいに。番号言うで、メモ取りや! 三井住友銀…


え? 居酒屋じゃない? 美容室パープルヘア? すみません。間違えました。


おしまい。


上は地方の若者が関西人を装った例ですが、詐欺の手口が巧妙化しています。差し迫る年末、犯罪に巻き込まれぬように十分ご注意ください。それでは。

 

2017年のエンディングと年賀状という文化

2017年のエンディングが、意識せずともすぐそばにハッキリと感じ取られる、クリスマスイベント最終日の今日である。毎年決まって年が明けたと思えば、必ず年が暮れ、その度に何かやり残した気がして振り返って見ると、年始に天と地に向け固く誓った大きな目標に全く手を付けず、残念なことになったと頭を抱えるのがちょうどこの時期である。


例年通りならあと2日もすると、頭を抱え天と地が逆さになるほど悩んだことなど、どこ吹く風、目の前の大型連休に向けたスケジューリングに忙しく、今年もよく頑張った、来年も頑張ろうと1人でふふふふんと鼻歌混じりの反省会して年越しの準備にとりかかるのだが、今年はどうやらそうもいかないらしい。


問題は年賀状である。例年、出すか出さぬか曖昧なまま31日を迎え、それから急いでコンビニに走り、とりあえずは偉そうな人向けに、可愛らしいイラストの入った年賀状に一言付け加えて住所を走り書きして投函。あとは年始に届いた分にお返事を書いて出すのだが、どうも結婚すると1月1日に届くように年賀状を出さないといけないらしい。そんなの結婚前に聞いていないと愚痴りながらただいま準備中である。


しかし、年賀状という文化はこのご時世で最も逆行している。手書きで一通一通仕上げていた時代は遥か昔、今やパソコンでカタカタポンであっという間に綺麗に出来上がる。便利だなあと思う反面、心通わぬ仕上がりに、こうまでして続ける意味はあるのかと疑問だし、それならばSNSとやらで十分とも思う。それでも日本人らしい、古くからの文化は廃れて欲しくないという気持ちもある。


ならば手書きで心込めて書けばいいのだが、それはそれは圧倒的に面倒、途中で挫折するのは火を見るよりも明らか。奇しくも、やらされながらも文化を継承していると言われたなら、そう簡単に止めれなくなるが、止める止めないはまた来年考えようと思います。それでは。

 

日本人の本質に合わないクリスマスとのうまい付き合い方

近所のゲストハウスの客だろう、揃いも揃ってサンタの帽子をかぶっている外国人数人とすれ違ったときに、ああ、クリスマスなんだなと思ったし、やはりクリスマスは日本のものではないなとも思った。


「古来から日本人は感情を表に出さず、控えめであるものなり。」


多分、何千何万とある文献を探せば一つくらいはこう書いてあるに違いないし、さらにはこうも付け加えてあるはずだ。


「欧米人が好むような、大勢の人を招いての立食タイプのホームパーティーは昨今の日本人にも浸透しており、やりたい人はやればいいのだが、本来の日本人の気質には向かない。2人か3人広さによって多くて4人を、茶室と呼ばれる狭く低く質素な部屋で、主人に作っていただいた茶をすすりながら、美味いか不味いかは二の次三の次、例え苦すぎ渋すぎで、本能的に不味いと、この場面では禁句のその言葉ばっかりが頭に浮かんだとしても、『結構なお点前で』や、『大変美味しゅうございました』と相手を褒め讃えるのが日本人流なのだ。ここでは例えその日が12月24日と言えどもメリー、やクリから始まる合言葉を口にしてはならないのである。ここで口にできるのは、渋く苦いお茶にもかかわらず、もてなしてくれたものへの愛言葉、せいぜい『良いお年をお迎えください』で、それ以外は『無粋』という単語一つにまとめられ、俗にいう空気の読めないや、滑っているというレッテルが貼られよう。」


と。さらに、


「今現代、趣味を書く欄に乱発されている、『インスタ映え』なる単語を創造し、前に述べた、日本人が本質を忘れ、立食タイプのホームパーティーを開催、それもあろうことか、ほとんど多くがサンタさんの帽子をかぶり、何人かに1人がとぼけたトナカイや、似ても似つかぬカーネルサンダースの格好をしているのを見ると、日本が戦争に負けた事実が思い出されて、悲しみのクリスマスイブとなる。中には、パーティーに参加したとしても、帽子をかぶらなければ、トナカイにもならない、まるで無理矢理連れてこられましたという雰囲気を全面に押す、空気の読めない者が何人かは見受けられるが、日本人の本質という面から言えば、まだ遅くない、こっち戻って来いと誘いたくなるのはこういう者達である。」


と続いていくだろう。こんな文献が本当にあれば読んでみたいが、ただ私は、クリスマスを否定しているわけではない。どちらかと言えば好きではあるが、特にこれと言ったホームパーティーはしない。今夜も今夜で、うちは家族分だけ定番のショートケーキではなく、モンブランを準備しました。クリスマスだけに、栗で済ますと、お後がよろしいのではないかと思いまして。それでは。

 

朝の眠気覚ましと寒さから逃れる甘え的な習慣

震える寒さの中、自転車を漕ぐたび太腿のお肉が痙攣しそうになるのは、寒さだけでなく加齢のせいもあるだろう。柔らかな筋肉が失われつつある今日この頃とはあまり関係ないが、冬と言えばホットコーヒーが美味い季節である。


近年コンビニエンスストアが凌ぎを削って我も我もと消費者獲得に尽力下さっているおかげだろう。挽きたてのうまいコーヒーがお手軽に飲めるのは大変ありがたい。特に朝の通勤途中の眠気覚ましにちょうどいいし、キンキンに冷え込んだ空気の中、一生懸命自転車漕ぐと、何故か突如として空腹が訪れるようになったのは熱いコーヒーを体が欲しているからと適当に理由をつけて、職場から200メートル離れた最寄りのコンビニへ、今週になってからほとんど毎日通う始末である。


コーヒーだけでもそこそこ欲は満たされはするのだが、正直なところ100パーセントには届かない。そこで一口か二口でパクッといけるスイーツに最近ハマっている。スイートポテトにベイクドチーズタルトやチーズケーキが特にお気に入りで、控えめな甘さがコーヒーの苦味を嫌味なく引き立てて、後に口に残る苦味を舌の上で永遠に転がしていたいと感じる至福の時間、満たされる欲は100パーセントのピークを迎えることができるのだ。


朝のガソリンとまでは言わずとも、不足を補う牛丼のお新香くらいの効果があると思うし、明日以降も誘惑に負けついついコンビニに立ち寄ってしまうのだろうかと考えると、日々に使えるお金を鑑みて、何か不安でそわそわしてしまうのだが、それはそれとして、朝起きて仕事行くのが嫌だ嫌だ病が、ほんの少しだけ和らぐことを考えたならば、ローリスクローリターンの優しい習慣としても悪くない。時間に押され潰されパンパンに圧迫された日々のほんの10分の緩みと考えるならば、憩いの時間としてもとても大切。もしかすると寒さ故に始まった、甘えのコンビニ癖が実は心身に良いことではないかと思うのだ。完全に抜け出せなくなった出っ腹グループの居心地を悪くないと思い始めていることを除いてではあるが。


今日も寒いですが、エアコンの力を借りずに枕を涙で濡らしながら眠るとします。それでは。

モテる関係「優しい」と「スマート」

ついこの前まで優しく頬を撫でてくれた母なる心地がした風たちが、今は凍らしてやると言わんばかりに頬めがけて極めて冷徹な厳しさを突きさしてくる今日この頃、モテと密接な関係性の「スマート」とは一体何かとふと考えることがあるのだ。


ここで言うスマートとは、スタイルや見た目的なことではなく、女子が男子にカッコいいと感じる仕草、振る舞いのことである。テレビで見たのか雑誌で読んだのか記憶が定かではないが、とあるデートの男がとった「スマート」な行動の一場面が取り上げられていた。


お会計を頼むとウェイターさんが座席まで来てくれる、きっと我々のような低所得層には背伸びしても届かないくらいの、夜景を眺めながらワインを飲むようなオトナなレストランでの支払い時、男は金額を確認し、支払おうとする仕草(だけ)をする女子を制止して、思ったより安かったからここは任せてと白い歯キラリ。


女子にわざと見せるように5千円札をウェイターに手渡した。ほんとは金額は5千円では収まらず、1万円にも手が届きそうだったにもかかわらずである。男が渡した5千円は実は重ねて2枚、女子に気遣わせないようにととったその行動はなかなかできるものではない。


この振る舞いは一般的には、特に若い女子達の間ではスマートだと言われるのだろうが、どうなんやろかと疑問符が付く。この女子が本当に安いと思ってしまったら…、この女子が次にこのお店を女子会に使うとしたら…、この女子が安い店に連れて来てケチくさい男だなと思っていたら…、考えただけでゾッとするが、スマートと優しいは結びつかないような気がしてならないのだ。


モテとスマートは重要な関係、モテと優しいは切っても切り離せない、ならばスマートと優しいも、と思うのだがどうやらそこは違うようだ。


先日、ついに私はナナコデビューをした。セブンイレブン電子マネーとやらのカードである。嫁さんのクレジットカードのポイントか何かが溜まって、引き換えに5000円分のポイントが入ったナナコカードをプレゼントしてくれた。近頃は大好きなコンビニにこれといった用事はなかったのだが、これ見よがしにスキップでセブンイレブンへいき、フンフンと鼻の穴を膨らましてあれやこれやを手当たり次第にカゴへ入れ、レジで支払いしようと、ナナコをかざしたのだが、苦笑いしながらオーナーと書かれた名札を付けたお父さんが空でっせと一言。


5000円分入ってませんでしたか、と聞いても首を振るだけ。あれれ〜と思いながら現金で精算したが、その時私はポイントと、チャージした金額が別管理だということを知らなかったのである。


教えてくれても…と思う私は烏滸がましいのだろうか。自己中心的考えかもしれないが、優しくないと思ったのである。ナナコはスマートなはずなのに。


もっとスマートにナナコを使えるようにスマーす。それでは。

始球式でスリーアウト

小学生の時、近所の小太りの幼馴染が下からそうっと投げるボールをフルスイングでクリーンヒットできたとき、一瞬だけ、ほんの1秒だけ、プロ野球選手になろうと思ったし、なれると思った。バカだと思うが世間のせの字も知らぬ小学校上がりたてだったからという理由を全面に押し出せば、多くの人は見逃さざるを得ないはず。


例えばである。そんな世間知らずだった小学生が大きくなり、プロ野球の選手にはなれなくとも、開幕戦の始球式に指名されとしよう。大好きな球団のユニホームが着れると、数日前から肩をグイングイン振り回し、今か今かと鼻息荒く待ちわびて、居ても立っても居られなくなり、ストレッチ、ジョギング、ダッシュ、キャッチボール、遠投と、練習に思いのほか熱が入りすぎ、体をほぐすどころか肩を壊して肘を痛めて足首を捻り、本番直前、たった一球が投げられなくなり辞退する。もしかするとその時の心境に似ているのかも知れない。


今年の勤務も残すところあと10日。先が見えてくるととたんに襟を正して背筋を伸ばして、よっしゃよっしゃと気合を入れ直すのは私だけではないはず。


終わりを良くすれば全てが丸く収まるような気がして、良い年末を迎えられる。だから今日は意図的に、ラストにスパートでもかけたろかと、いつもよりも早くに起きて、それこそ朝から洗い物しながらストレッチして、体を温めていた。ご飯もいつもよりしっかり噛んだし、大の方も2度に分けて多めに出た。歯を磨いたし顔も洗ったし、準備は整った。後は出立の時間を待つのみと、ソファに横になった私がバカだった。


気づけばその出立の時間を15分もオーバーしていた。内心焦りつつ嫁に余裕の表情で行ってくるよと軽く手を振り、家を出て、腿が破裂しそうなほど自転車漕いで、どうにかこうにかギリギリセーフで会社に着いたが、そこで家に財布を忘れたことに気づいて、帰りに頼まれていたパンを買いに行けないのでワンアウト。さらにはまだアイロンを掛けていないカッターシャツを着ていたのでツーアウト。あと一つでスリーアウトなのに、他は何一つ悪いことがなく、オチがつかないので逆にスリーアウトである。


このままでは良い終わりを迎えれそうにないので、まずは擦り減ってパンツがうっすら透けてきている仕事用のズボンを買い換えようと思います。それでは。

 

さすらいのサッカースカウトが行く

俺はどこにも属さないフリーランスのスカウト。サッカー選手のスカウトだ。サッカー選手と言ってもクラブや社会人チームから引っ張りダコになるような誰からも評される選手をスカウトするのではなく、中学〜高校の、まだ注目されてはいないが、「センス」はあるが実力を発揮できていない、所謂原石を強豪校に紹介し、それをきっかけとして入学、入部が決まれば、その学校のサッカー部監督から紹介料をいただくのだ。学校には知らせない内緒のお仕事、という事にはなる。もちろん、ここで金額を明かすことはできない。なぜなら俺はさすらいのスカウト、正式なルートを辿るタイプでなく、どちらかといえばドラッグを売る人たちと同類、正体を明かさないさすらいのスカウトだからである。


この仕事を始めて今年でちょうど6年。これまでに紹介した選手は全部で10人。この数字を多いとみるか少ないとみるかはお任せするとして、稼いだ総額はおよそ30万。今日も山へ芝刈りにバイトに行くのである。バイトはやりたくてやっているわけではないが、ご飯を食べたいし、屋根のある部屋でyoutubeでも見ながらダラっとした生活をしたいのでしょうがない。


サッカー選手のセンスの有無は、ボールの触り方を見たら一目でわかる。それがシュートでもトラップでもパスでもドリブルでもいい。うまい人には共通した独特の間合いのようなものがある。クマやトラのようなどう猛な動物と不意に対峙したとき、迂闊に飛び込めなくなるような、危険な香り、俺が求める原石を探す標となるのは、その香りだ。手前味噌だが、その香りを嗅ぎ分けることができるのが私の才能と、日々の努力の賜物である。


今日もサッカーには馴染み深い、記念すべき11人目の選手を見つけるべく、バイトそこそこに体育のサッカーや河川敷でボールを蹴る少年、公園でボールを追いかける赤子に目を凝らす。俺の求める原石はどこに転がっているかわからない。それがサッカー部とも限らない。いついかなる時にも、原石探しを中断してはならないのだ。続く。