立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-スポーツに不要な力み

思いや気持ちを伝える方法は多い。言葉はそのうちの最たるものだ。話したり、紙やメールに文字を書いて読んでもらったり、手話やボディランゲージもそう。言語の発展が相手へ伝えるという手段で最も重要なものだとは言うまでもない。


こんがり焼けた肌がかりんとうのよう。額から流れる汗がかつおダシのよう。全力でプレーする姿はまさに和食のフルコースだ。決してうまくはない例えではあるが、そう、高校球児の憧れ、甲子園の季節である。


今大会は、100回目の記念大会らしい。その記念大会で、地元ではあるし友達が行っていたというだけで、ほかに何にも関係のない星稜高校が第1試合で、しかも星稜高校OBで石川県出身のスーパースター、松井秀喜が始球式を務めるという星稜にとっては今優勝しないでいつ優勝するのだと言いたくなる程のお膳立てが整っている。


人が食べて飲んで寝る生き物なら、野球は投げて打って走るスポーツだ。ホームベースを踏む時の笑顔は眩しく、デッドボールに歪む顔は見ていて痛々しい。選手の声が聞こえなくてもテレビ通して彼らの気持ちがこちらにも届く。嬉しいや痛いが表情に出るのはわかるが、ボールを投げる時、バットで打つ時、全力で走る時、鬼のような顔になるのは何故だろうか。顔に力を入れていないはずなのに、「力込めてます」が表情に表れるのはどうしてだろう。


意識して表情を変えているならわかるが、体の不要な部分の力みをできる限り減らすのが今のスポーツ界のセオリーなら、顔への無駄な力み、これも減らすべきなのではないだろうか。

 

意識してそうしている選手はおそらくはいない。ならば何かを伝えるために体がそうなってしまっているなら、一体何が伝えたいための表情なのか…

 

そんな、多分今後のスポーツ界にもどうでもよいことを考えながら松井の始球式を眺める今日も暑い。選手は熱中症には気をつけて全力でプレーできるのを祈るだけである。