立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-やかましいと思った音が今では癒しの音に聞こえる

電車が好きである。小さい頃、乗り物酔いがひどく、10分も自動車に乗っていたなら発射準備は完了していた。自家用車で遠くに行く時、込み上げるものへの我慢が限界に近づき、あとどれくらいで着くか両親に尋ねたら、あと10分で着くからと言われ大人しくしてたが、待てども待てども目的地には着かず、結局1時間乗せられっぱなしだったということは少なくない。


車酔いはその時の気分で緩和することは少なくない。つまりは親は私に安心を与えて…という作戦だったのだろうが、あと10分我慢すれば着くと思い込んだ私からしたなら、親への不信感が募るだけ。脂汗をかいて耐えたあの頃の苦い思い出と変な作戦を使った親へのわだかまりは忘れることはできないのだが、車はダメ、飛行機、船もダメで、バスはもっとダメだったにもかかわらず、電車だけは平気だった。漫画読んでもお菓子を食べても気分が悪くなることはまるでなかった。


そういうことも大きく関係して私は電車が好きなのだ。と言っても時刻表をそらで言えたり、車両の写真を撮りためることはなく、オタクと呼ばれる人たちの1割にも満たぬ愛ではあるが、たしかに愛している。


今度引っ越してきた場所は徒歩5分で駅に着く。当然線路もすぐそこにあり、電車の音も聞こえると。私があらゆることに過敏だった10代だったなら頭をかきむしり、日々ヘッドホンを付けて部屋をウロついていただろう。20代だったなら耳栓をして電車の走る夜12時過ぎまでは睡眠、深夜から明け方にかけてを自分タイムとして夜を楽しんだだろう。そして今30代の半ばになったが、なんと心地よいことか。電車の走る音が、まるでこけら葺きの屋根から落ちた朝露が水溜りを打つかのような癒しの音となった。


私も大人になったものである。かつては自分の生活以外の音が邪魔で仕方ないと思ったことがあったのに、いまでは逆。むしろ欲しているから歳をとるとは不思議なものだ。全部ひっくるめてやはり電車は好きだ。