立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-小さい頃に経験した、理屈の分からないこと

まだ幼い頃、包丁でまともに切りもせず手でちぎったような火の通ってないキャベツとほうれん草、ヘタを取っていないプチトマトを皿に置いた、所謂野サラダが食卓に並んだ時、おや? とは思ったが、主張する手段を持ち得ぬ幼少期、また、野菜は身体にいいから食べられればそれでいいという言葉通り、何も分からない仔犬のように言われるがままで食べた。美味しいものを食べる、を胸に日々過ごすようになったのは一人暮らしが始まってからである。

 


嫌なことをやり、不味いものを食べる。

 


楽しいことをして美味しいものを食べるのは悪だと言わんばかりの、まるで戦後、衣食住がままならない時の日本のような教育の名残が我が家に残っていたに違いない。何かのタイミングであのサラダを思い出す。多分トラウマとやらになってしまったのだろう。泥臭さいキャベツとほうれん草をトマトの酸味で無理くり胃袋に流し込んだことは、そう何度もあったわけじゃないが、きっかけ不明でふとあの時の映像が頭をよぎるのだ。

 


よっぽど嫌だったんだろう。野菜の高騰が続く昨今だから、先述した「野菜の味そのままサラダ」と言えど安くはない。高いからと言って美味しいとは限らないのであれば、売れ残った20円引きのシールが貼られたパサパサの、だけどもしっかりと味付けがされたチョコパンとクリームパンで飢えをしのぎたいとすら思うのだが、冷蔵庫の中に絶えずマヨネーズかドレッシングがあったはずなのに、どうしてあんなサラダだったのか。30年近く経った今でも謎のままである。