立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

雑記-拾えないお金

職業柄、土地を巡る小競り合いをよく耳にします。ここまでは私のだ、いやここからはうちのだ、と家と家の間、数センチの隙間を巡ってあーだこーだと、他人同士のみならず親族同士ですら揉めるということもあるみたいですが、私としては所詮他人事。鼻毛がバッサと出てないかの方が重要なわけですが、数センチの隙間をどうにかする前に、互いの心にざっくりと空いた隙間を埋める方が大切なのではないかと口にせずに心の中でうまいこと言っているわけです。


私の出身は石川県。金沢の中心地はぎっちりと建物が詰まってはいますが、少し離れたらのどかな田園風景が広がります。石川県はどちらかといえば「いなか」と言われる地域でしょう。たぶん土地の価格も普通に働く人にとっては、目が飛び出るような値段ではないのではないかと思っているのですが、あっているのでしょうか、それとも違っているのでしょうか、よくわかりませんが、どうでもいいんです。


最近たまに、ここ京都は初めて来た場所なんだと思い込んで、朝家を出ることがあります。するとどうでしょう。目に映るすべてのものが新しく、新鮮で刺激的な気持ちに…なれはしないのですが、ほんのわずかな気分転換にはなります。


その気分転換をしている時に、ふんわりと地元の風景が思い浮かぶことがありまして、原風景と言うんでしょうか。私の深層心理に刻まれて忘れられない景色を思い出し、京の街をいつも通り進んで行くと、いなかと都会のギャップに朝からやられそうになりながらも少し切なく寂しく思い、なんとなく一息つこうと缶コーヒーとかをそこらの自販機で買うわけです。


で、財布からお金を出す時に気づくんですが、自販機の下の溝の蓋が、銀の金網のやつなんですよね。お金を投入しそこねて、落としたらもう拾わないですよ。わざわざあのクソ重い金網持ち上げてまで拾いません。たぶん土地もぎゅうぎゅうだし、自販機を配置する土地の構造上、やむ終えずそうなったんだろうなあと、溝を覗き込んだら、鈍く光りを放つ50円玉がそこにいました。もしかしたらそこで50円の価値なく生涯を終えるかもしれない50円。ごめんね、拾えない、と心で呟いてその場を後にし、帰りにまたコーヒー買おうとそこに立ち寄って50円玉を確認したら、オロナミンCの蓋でした。