立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

ささやき、誘惑

やっと来たぜ、待ったかいがあったな。こんなチャンスめったにない。今この部屋にいるのはお前一人だ。なにビビるこたあねえよ。5分もしたらスッキリするし、そんなすぐに誰も戻って来ねえよ。今しかねえって、さあ早く。一瞬だよ、ちょっと目をつぶればあっという間に5分だろ? だれも見に来ねえって言ってんだろう。なに心配することがあるんだよ、絶対誰にもバレやしねえって言ってんだろ。頼むよ、少しだけ、な、頼むって。これだけ頼んでんだからいいじゃねえかよ、頼むから少しだけでいいんでお願いします。我慢できないんです。本当にお願いします。一生のお願い。こんなお願いできるのはあなただけなんです。あなたがすっきりしてくれるなら、私はこの場からすぐにいなくなります。いつも真面目にがんばってるんだからいいじゃないですか。例えバレた所で、ごめんなさいの一言で許してもらえると思うんです。あんまり無理するのも体に悪いと思うんです。私はあなたのことが心配で仕方がないんです。もしあなたが倒れるようなことがあったら元も子もない、私の存在すらも危うくなるんです。お願いです。無理しないで少しだけ眠ってください。


お昼ご飯を食べた後はだいたいこんな感じで、ぼーっとパソコンを眺めているのではあるが、変わらない真っ白な画面のまま睡魔と戦うくらいなら、できる限り昼寝して目を覚ましてから仕事した方がずっと効率いいように思うし、そんなことが簡単にできない社会に毒を吐こうと思ったが、そんな時間があるならば少しでも、コンクリートの上でもいいから横になろうと思います。それでは。

否定と価値

A:〇〇ってバンドよくない?
B:そうか? ドラム下手くそだろ
A:〇〇って映画めちゃくちゃ面白かったよ
B:お前あんなのが好きなの? 俺はないね
A:あそこのラーメン好きだわ
B:全然うまくないわ
A:…

以前にうどん屋で隣になった大学生くらいの若い男子の会話である。多くの人がもしかしたら経験があるかもしれないし、そういう私も身に覚えがないわけではない。世間が良しとするものをことごとく否定していきたくなる症候群である。その道をとことん突き詰めている、プロがいうのであればわかるのだが、素人も素人、年端もいかないど素人が俺はわかっている部類の人間であると、自分は人とは違う、もっとビッグなんだと言いたがる症候群である。


強気、見栄、他とは違う、男子Bの心を探るとそんなメモがあちこちに張り巡らされているだろう。確かにその通り、時には強気で時には激しく、ベッドの中では底抜けの優しさを見せても、一歩外へ出たなら、すれ違う人が皆道をあけるような肩で風を切って歩く事もたまになら悪くはないだろう。それで自分の中で自分を肯定しようとしているのもわかってる。


いいんだよ、いいんですよ、私には関係ないし、こちらから隠れて見えない男子Aがどんな顔してるのかも私には関係ない。ただなんとなく私は、いつもよりうどんが美味しく食べれなかったし、美味しいはずのお出汁がやや薄めに感じたし、聞いていて面白くはなかったことだけ、どこかで伝わればなと思っただけである。


ただこれだけは言わせてくれないか。金欠だから金貸してって、男子Bよ、たった600円が払えないのなら、人の否定する前にバイトでもしなさいよと、お店来るんじゃないよと、隣の席からツッコミにも似た意見をぶつけそうになった休日の昼下がりでした。なんだか昔の自分もこんなもんだった気がするので、今夜はお月様に祈りを捧げて眠るとします。それでは。

一年に一度の寝坊と失態

年に一度の楽しみであるチャンピオンズリーグの決勝があるとなれば、キックオフの3時45分に合わせ、週末の楽しみであるお酒を控え、目が爛々として眠くないまま早々と布団に入ったのが、夜の9時過ぎであった。普段仕事のある日でさえ、布団に入るのは早くても日が変わってからなので、当然ながら、眠れないのである。世界で最もビッグなマッチだからこそ、ベストなコンディションでキックオフを迎えたいと思うのは、選手だけでなく私も同じで、だからではないが無理に眠ろうとすればするほど、意思とは反対に目が冴えてくるものである。


こんな時は羊を100数えてもダメ、憧れの女優のことを考えると興奮してきてもっとダメで、ならば眠くなるまでスマホだと、割り切ったつもりでスマホを触るのだが、気づけばエロいサイトを巡回してしまう癖が出てしまい、なおさら目が覚めてくるしまつである。次の日が仕事ならば無理にでもと大人しく目をつむってじっとしているのだが、楽しみにしていたサッカーが待っていると思うと、遠足前の小学生よろしくワクワクが止まらないのだ。


こうなったら寝るのはあきらめ徹夜してやろうと、ムクッと起きだして、読みかけのままほったらかしになっていた小説を開き、一冊丸ごと読んでやると意気込んだのだが、途中からでは内容が思い出せず、結局初めから読み始め、10ページも読んだか読んでないかのところで寝落ちである。ハッと目を覚ました時には5時。やるやるとは思っていたが、本当にやってしまうとは、自分で自分が信じられないのであるが、こんな時のために録画していたあたり、よくやったと、自分を褒めたところで、気を抜いてしまい、淀みない動きでスマホを開いてしまったのは、一年で一番の失態である。


そんなところあるよねとニヤニヤした嫁に言われながらも、途中までしか結果は知らないしと、録画したサッカーを楽しんだ日曜だったのである。いつかは現地で見たいという夢をそのうち叶えてやろうと強く思いながら、寝不足を解消すべく、ゆっくりと眠ろうと思います。それでは。

身辺整理

いつかは死ぬとして、どのように死ぬのかを考えることはたまにある。死にたい願望はまだないし、もちろん私の中に自殺の文字はない。ただ死はいつ訪れるかもわからないものだと思うし、常に覚悟や準備をしておいて、できるのであれば、後悔のないように生きておきたいものである。


もしもである。


スキップの練習中に足がもつれ、体勢を立て直せず、よろよろしているうちに入刀前のウエディングケーキに頭から突っ込み、打ち所が悪くそのまま…や、商店街の着ぐるみにビックリしてバランスを崩し、体勢を立て直せず、よろよろしているうちに誰かが仰いでいるセンスの角が頭に刺さりそのまま…などという可能性もゼロではない。


予期せぬ時に訪れ、案外あっけなく、脆さ儚さという言葉では表現できないほどコロッと逝ってしまうような気がするのである。


急に終わりが訪れた時、見られてはいけないものがないように、常日頃から気にしておく必要はあるだろう。破れたパンツや、エロのブックマーク、ブログが進まない時に書き溜めた、読めば読むほど脇から額から汗が噴き出すラブソング。気になるのはそのあたりか。


思ったより大した事ではないのは、3月の引越しの時に、いろんなものを捨てたので、見られて恥ずかしいものと言えば通帳の残高ぐらいのもんでした。捨てるに捨てれないものが1番恥ずかしいのだが、何とかしたい気持ちがあることだけ、せめてこのブログにだけは記しておきます。後悔のないよう、睡眠欲だけはしっかり満たすために今夜も早めに眠ろうと思います。それでは。

負荷と贅肉の関係

負荷をかければかけるほど、体が悲鳴をあげればあげるほど、無駄な肉は削ぎ落とされ、強靭な肉体が手に入る。今日は肌に食い込んでくるような強烈な日差しに、声に出さずとも心の中で悲鳴をあげていた人も多いのではないだろうか。


学生時代、何かしようと思った時に最低限必要なものは何かと考えたことがあった。お金はあればあるにこしたことはないし、必ず必要となる時がくる。しかし、お金以上に健康な肉体がなければやはり何もできないのではないだろうかということから、たばこをやめ、少なくて週に3回、多くて5回のロードワークを自分に課し、1ヶ月で無駄な肉を3キロ落とし、3ヶ月で5キロ落ちたときには、周りの友人からガリガリだねと言われるようになった。もともと着痩せするタイプらしく、ガリガリだねというほど痩せてはいなかったが、程よくついた筋肉が健康面の調子の良さをものがたっていた。


負荷をかければそれだけ肉体は進化するということを体現できたと思うし、私は一生ロードワークを続けていくものだと思っていたのだが、ご察しの通り、今ではロードワークのロの字も出てこない、不摂生とズブズブの仲になっているのだが、日々上昇していく温度が肉体の負荷となり、洗濯板の如くバキバキに割れた腹筋が手に入るということはないだろうか。


フォーマルな服装での夏の日差しはサウナよりも負荷がかかっているような気がするし、今日から夏の服装にしようと、去年の秋まで履いていた薄めの素材のズボンを出したはいいが、太ももの部分がスパッツのようにパンパンで、挙げ句の果てにホックが絶対に閉まることのない2cmも離れた所で、だんなもう無理ですねんと、ウエストのゴムが見たこともないほど負荷がかかってパッチパチである。


ロードワークを始めようか新しいズボンを買おうか、おそらく後者になるのは私が自分に甘いからなのは十分にわかっているので、せめて今夜はフカい眠りにつこうと思います。それでは。

禁煙の波と思い出

非常に肩身が狭い思いをしています。何も今に始まったことではありませんが、少し離れたよく行くコンビニの灰皿が撤去されました。私のような節度ある喫煙家にとって、屋外の灰皿は憩いのオアシスなんです。何も灰皿を見つけるたびにタバコに火を点けようって気はさらさらございません。友達といる時、嫌な用事が終わった時、徹夜明けの帰り道。ふとした時に灰皿があれば、私たちはそれで心が満たされるのです。


昔は一日一箱吸うことも珍しくはありませんでしたが、乗りたくもない禁煙の波に乗らされて、気づけば平日に吸う本数は、朝一本、夜二本の三本くらいのもんです。禁煙の場所で無理に吸おうなんてことは絶対にないし、喫煙できる場所でも人が多かったら様子を見るしで、それなりに気は使っているのです。だからと言って喫煙者の社会的立場が良くなるわけではないですし、時間の無駄や病気になるなどの否定的なご意見はその通りであると思うのですが、時間の浪費と健康を失うリスクを負いながら思い出を作っているんだなあぐらいに思って、そっとしておいてはくれないでしょうか。温かい目で見守っていただけないことはわかっているので、どうか見て見ぬふりくらいはしていただきたいと思っているのです。


最近ぼーっとする時間って意外とないのではないでしょうか。SNSやらゲームアプリやらの発展に伴って、一日中スマホを触っているという人も多いのでしょう。その点たばこを吸う数分間は物思いにふけったりする時間として最適です(もちろんスマホを触りながら吸う場合もある)。友達との連れたばこでは、思いの外話が盛り上がる場合は多いし、バーで隣に座った女の子にライター貸してもらえませんかと話しかけられ、そのまま盛り上がって朝までコースなんて可能性もなくはありません。


百害あって一利なしは言い過ぎで、私は一利くらいはあるように思っているのです。と、ここまで必死に喫煙者として演説してきましたが、どうにもこうにも負け犬の遠吠えくらいにしか思えなくなってきたので、本日はこのあたりで失礼するとします。それでは。

 

あがり

サイコロを転がすか、もしくは数字が並べられたルーレットを回して出た数字の分だけ進むのは誰もが知っているすごろくですが、他のゲームも然り、ゴールをすることをあがりと言います。


生き物としてのあがりはきっと子孫の繁栄に成功できた時だと思うのです。つまり動物であれば生殖機能が衰えるまで、交尾を数こなし、とにかくたくさんの子を産む、優秀な強い遺伝子を数打てばあたると言わんばかりに、一体でも多く残すことができたなら死を待たずして、はい、一丁あがりでしょう。


人も生物ですし、子孫繁栄は最も重要な使命であると思うのですが、攻撃する術や逃げる術など、身を守るための武器や道具を一切持たないまま、他の動物に比べ脆弱な状態で生まれる人間は、それこそ一から十まで大人の助けを借りなければ生きていけません。そう考えると人としてのあがりは、子供が人間界でご飯を食べていけるようになった頃でしょうか。それとも孫が生まれて遺伝子が繋がったのを見届けたらなのでしょうか。


閑話休題、お寿司屋さんの大将にあがりをお願いすることもできないほど恥ずかしがり屋で、かわいらしく言うとウブな私ですが、今度予定している人前でのスピーチにあがらないためにはどうしようかと考えることで一杯一杯。人としてのあがりを考えるよりも、このあがり症をどうにかせねばなと、切に感じた今夜は、少しだけ夜風が寂しく感じたので、狭いダンボールの中で眠ろうと思います。それでは。