立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

心に響く歌が歌えたら、上手じゃなくていいから

歌は涙を笑い声に変え、怒りを明日への勇気に変える。歌が歌えれば。いや、歌は歌えるのではあるが、私が如何に気持ちを込めようとも人の心は動かせないし、場所が場所なら、この先少なく見積もって50年は剥がれることのない音痴のレッテルをおでこにバチッと貼られて後ろ指指され笑われるのがオチである。


最近会社の広告関連の仕事は全てストレートに私に回って来るのはまあ、いいとして、ここ数週間、春と秋に一回ずつ発行する社外報の制作にバタバタと追われていた。


クジで当たって(ハズレて)決まった担当者が、エクセルとワードの区別がつかず、両の手合わせて3本の指でキーボードを叩く程のPC音痴。しかも50手前にもなって奥さんにタバコを吸っていることを隠している中学生かよと言いたくなるような人だし、最近、その人と部長との仲が笑えるほどに険悪になっていることもあり、また、私も一生のお願いと言われたら断れない、もしも女子だったら都合のいいように扱われてポイされてるタイプなので、社外報制作に加わることとなった。


ここ数回の社外報は連続して評判が良く、ならば今回はせめて酷評受けない程度に緩くやりましょうと、最初の話し合いで決めていたのだが、あれはあーやって、これはこーやって、ならばそれをあちらにと作り込んでいくうちになかなかの力作になり、それそこそこの出来栄えとなった。後は印刷所にお願いするのみとデータをウェーイと送って楽になったのが一昨日のことである。


が、今日部長にデータを寄越せと言われたので、何に使うか聞いたら、お客さんに見せるという。それはできない、社内で完成と言ってもここから印刷屋が装飾して悪い部分を直してくれてそれで完成だから、まだ未完成だからそれはできないですよと言っても聞く耳持たず、あちらは渡せ渡せ、私はできないできないで平行線を辿っていたところに、この部長と険悪だった社外報の担当者が駆けつけてくれて、ささやくようにしょうがないから白黒で渡そうと言ってくれた。正直私はそれも嫌だったのだが、このままでは本当に良くないし、まあしゃあないなと白黒を渡して解決したとは思ったのだが。


作品は言わば子供のようなものである。それも女子、娘である。一から作り、どうしたら良くなるか、完成はどうなるのかあれやこれや手を焼いたのだが、その分何とか良くなったし大切に育って良かったと思っているのだが、今は手が離れる寸前。あとわずかで完成、気づけばすっかり大人になった女子、否、女性である。完成前の状態でお客さんに見せることは、言わばすっぴんでフィアンセの元へ向かわせるのと同位、脇やスネ、その他無駄な毛の処理をせずにウェディングドレスを着せるのと同位である。


カラーを寄越せ。こちらの断腸の思いを知ってか知らずか予想通り言ってきた。


上手く、凄く上手く心に響く歌が歌えれば。今日ほどそう願ったことはない。もちろん部長のためではなく、一緒に戦ってくれた友(担当者)と私のためである。今このタイミングで心落ち着き癒される、一青窈中島美嘉エゴラッピンでも良い。彼女らのような歌声で歌えたら、きっと何もかも平和に解決できたはずなのに…。


何だか今日はいつも以上に疲れたので、本当に疲れたので、今夜はエンターキーを押したと同時に眠ろうと思います。それでは。