立ち聞きweblog

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雑記-ギスギスした世の中の、トイレットペーパーと正義

汚職にセクハラに不倫にアメフトに、近頃ギスギスしたニュースが本当に多い。ニュースと言えばそんなもんなのかもしれないが、慣れっこになり感情の移入の仕方に困るような、多くの悪いニュースは日本をあげての悪者退治だと思う。ネットを媒体として情報が瞬く間に拡散して、どこにいても発言ができる世になったことが、悪者退治に拍車をかけたと言って間違いはないだろうし、悪の征伐をしなければならないという正義感が知らぬうちに育まれたのは、幼い頃繰り返し聞かされ見てきた桃太郎やゴレンジャー、アンパンマンの影響によるところが大きい。


自由気ままに欲望のまま振る舞う、悪の大王だらけになってしまうと私達のような心の弱い人間は特に住みづらい世の中になってしまうので、まだアイデンティティが確立しきっていない幼な子に、いわゆる、王道のヒーロー物ストーリーを擦り込むことは、ギスギスを減らすためにも「教育上」大切なことなのだろう。


日本の教育論に一石を投じたいわけではないが、ヒーロー物と同じくらい大切にしなければならないことがある。それはトイレットペーパーである。


幼い頃、まだ今ほどトイレットペーパーホルダーが充実していなかった。我が家では、ホルダーの蓋を上げると中心に向かって伸縮する樹脂製の棒が入っていて、トイレットペーパーが切れる度、それをまずは外し、切れたトイレットペーパーの芯を外して、次に新しいトイレットペーパーをその棒に通してホルダーに付け直さなければならなかった。大人になった今なら大した作業でもないが、子供の頃は付け替えるのがとにかく面倒であった。


私のこの気苦労を知ってか知らずか、我が家では、切れたもしくは切れかけたトイレットペーパーをそのまま放置していく住人が多かったように思う。トイレットペーパーを次の人のために交換しておくというのは、「思いやりの基本」と言ってもいい。そこで行動に移せるか移せないかが今後、日本で悪となるか正義となるかの分かれ道であると思うのは私だけなのだろうか。


だから言いたい。例えコンビニだとしても紙が切れたなら店員さんに報告すべきだろう。2店舗連続で紙が切れているのは、悪の大王になれと言う、最後使い切った人からのメッセージと捉えてよろしいのだろうか。