ドラえもんと私と無駄な時間と
ドローンを見るたびタケコプターを思い出し、スマホの音声入力の精度向上がほんやくコンニャクの必要性を無くし始めているし、幼い頃に食い入るように見ていたドラえもんの世界観と現実が少しずつではあるが重なり始めていると考えるにはまだ気が早いのだろうか。
バリバリ仕事をこなし、さらには趣味を謳歌し遊びにも一生懸命な人ほど、無駄な時間をできる限り削ぎ落とせという。
無駄な時間
無駄な時間とはなかなか判断が難しい部分があると思うのだが、例えば私の場合、とりあえずは削れる時間はどこだろうと考えると、晩御飯の後のボーッと見ているテレビの時間、寝る前のネットサーフィンの二つに絞られる。
これらを資格の勉強やペン習字、マナー教室で自分を成長させる鍛錬の時間、もしくは、我が家を出てすぐのところにおでんの大根を捨てた奴のワラ人形を作ったり、仕事中の荷物の積み下ろしだとどう見てもわかるのに駐禁を切ろうと遠くから目を光らせている緑の人たちを集めて説教したり、ひたすらテトリスしたりという趣味の時間に割くことができれば、より濃い1日を過ごせるのかもしれない。
ただ、一見無駄に見えるこれらの時間が殊の外プラスに作用している可能性はゼロではない。ボーッと何も考えずテレビを見ている時間は、ネットなど自分の意思で何かを検索する場合とは違い、思いも寄らない新たな情報に感化され新たな世界が覗けるかもしれないし、寝る前のネットサーフィンはスマホの光が睡眠の質を悪化させるとか何とか言われているが、私にはむしろ寝つきがすこぶる良くなり、気づかぬうちに夢の世界をサーフィンする幸せな夜を過ごしている。
一概にどれも無駄だとは言い切れないし、無駄な時間ほど大事にしたい5つの理由というタイトルでネットに記事を書けばそれなりに読まれそうではあるが、無駄な時間に固執したい理由が、ただ単にダラける時間が何より好きだし、楽したいという私の本質である。無駄な時間を無くさぬためにも、なくせればなと思うのは移動時間で、だからタイムマシーンよりもどこでもドアができて欲しいと切に願うのである。それでは。