立ち聞きweblog

待ち合わせで相手が遅れてる時とか、何故か眠れない夜とか、通勤や通学の電車とかで流し読みして下さい。

中学時代のふわっとした記憶

もう20年近く前になるだろうか。


腰辺りまで積もった雪が溶け始め、水っぽくなり重くシャリシャリとした雪がまだまだ残る歩道が歩きにくく、その道ではハイカットのスニーカーの防御力はほとんど無に近く、隙間から入って来る雪水が指先の感覚を麻痺させる。だがそれは北陸では決して珍しくはないただの冬の日のことだった。


ノートか消しゴムか赤ペンか、はたまたラブレターを書くための便箋だったかは覚えてはいないが、夕食後に何かを求めて地元の本屋を訪れた。目的のものを買えたのかどうかは忘れたが、店を出ると溶けかけた大量の雪が溝を塞ぎ、融雪装置から出る水と雪解け水が排水量を上回ったことで、メダカや金魚くらいなら飼えそうなほど十分な水量の水溜りが駐車場にできていた。これも北陸ではあまり珍しくはない。


わずかな店の明かりと街灯で水溜りの底に一瞬何かが見えた気がして目を凝らすと当時の中学生には大金の1000円札であった。アスファルトにピタリと張り付いているようだが、そこは中学生、氷水に手をつけるのが恐怖か修行か治療としか捉えられない今の私とは勢いが違い、躊躇なく、じゃぶじゃぶっと手を突っ込んで破れないように丁寧にピラリとすくい上げた。


もう時効だろうし正直言うと、その時は届けようという気持ちは1ミリたりとも無かった。夢にまで見たというと言い過ぎかも知れないが、月に何度もお目にかかれない1000円札が手に入ったと、心の中ではグリコの看板のように両手を上げてスキップして帰宅した。


帰ってからが本当の勝負であった。親に見つかれば怒られ、有無を言わさず回収されるのは目に見えていたし、だからと言って乾かさないわけにもいかないから、できるだけ目につかない隠し場所を探した結果、私の部屋のカーテンを閉め切った窓に貼り付けておくということだった。そこで一晩も置けば大丈夫だろうと踊る心をいさめながら眠りについたのだが、次の日あれだけ楽しみにしていた臨時収入をすっかり失念していたのは自分でも信じられないし、その後その1000円札を使ったのか親に持ってかれたのかさえ全く記憶に残っておらず、もしかするとただの夢だった気さえしているが、それがたまに思い出す中学時代の思い出である。


いや、あの1000円があればさっき800円足りずに諦めたお米が買えたなって。